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映画のコトやら何やら綴りませう
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Top023 11日の夜、久しぶりにブログの更新でも・・・と思ったらちょうど3日に渡るメンテナンスの初日でした。と言うわけでようやく、改めて更新。

暑中お見舞い申し上げます。
暑中見舞いを出す時期としては1週間ほど早いんですけどね、まぁもう十分に暑いよぅってことでHPの方も更新しました。
ホンマ暑いです。頭がボーッとしてきて何もする気になりません。
それにしてもこのブログの更新も滞っていますけど、もう少し待って下さい。

さて、折角ですから暑中見舞い絵の背景に使った作品についても少し語っておきましょう。

Toriton01 「海のトリトン」(1979年)

元は手塚治虫氏の名作「青いトリトン」を原作として1972年に放送されたTVアニメ「海のトリトン」でして、制作は「宇宙戦艦ヤマト」シリーズの西崎義展氏、演出は後に「機動戦士ガンダム」を監督する富野喜幸氏。
この半年に渡って放送されたTVシリーズを前後編の2本の劇場映画として再編集することになった、その前編に当たるのが本作です。

まぁしかしこの数年前まではTVアニメを再編集して映画として公開するなどということが流行るなんて想像もしなかったものです。そのはしりとなった「宇宙戦艦ヤマト」(1977)の際もとても商売にはなるまいと考えていた人が大半だったようです。ところが予想外の大ヒットで、その後様々な再編集劇場版が乱立することとなりました。
「科学忍者隊ガッチャマン」(1978)とか「アルプスの少女ハイジ」(1979)とか観に行きましたですよ。「機動戦士ガンダム」3部作なんかもそうですね。「伝説巨神イデオン」(1982)、「宇宙戦士バルディオス」(1981)あたりからTVで放送できなかった部分を補完する意味なんかも出てきましたか。
さておき、「宇宙戦艦ヤマト」で一山当てた西崎氏としてはもう一山という気持ちで「トリトン」を倉庫の中から引っ張り出してきたのでしょう。

上記の通り前後編の2部作として制作されるはずだった劇場版「海のトリトン」。監修に「宇宙戦艦ヤマト」と続編「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」(1978)を監督した本来実写畑の大ベテラン舛田利雄氏を招いて盤石の体制かと思われましたが、興行的に振るわなかったのか結局後編が劇場公開されることはありませんでした。
ところで実のところ後編は実際に作られていたのか疑問だったのですが、数年前に前後編を収めたDVDが発売されているんですね。一応は存在していたんだ~。

Toriton02 さて本作の公開ですが、1979年の夏に「宇宙戦艦ヤマト フェスティバル」と称して「宇宙戦艦ヤマト」と「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」を同時上映した際に豪華3本立ての最後の一編として公開されています。私も当時チラシ画像にある三宮東映で鑑賞したものです。
映画の内容はと言いますと・・・まぁただのダイジェストでしたよ(笑)。

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1970年代の一大パニック映画ブームの一翼を担ったエアポートシリーズ。第一作の「大空港」(1970)から「エアポート'75」(1974)「エアポート'77」(1977)「エアポート'80」(1979)と4作品が作られました。昨今「エアポート2000」とか「2001」とか「2002」とかあたかもシリーズ作品のようなタイトルでDVDが出ていたりするのは、全て適当な邦題のシリーズとは別作品ですのでお間違えなく。
でまぁ、そのエアポートシリーズの中で「大空港」に次いで好きなのが本作「エアポート'77」だったりします。いや~、TV放送されるの何十年ぶりだろ。やはり面白かったですよ。

「エアポート'77 バミューダからの脱出」(1977)
AIRPORT '77

ある資産家が私設美術館を作るため、多数の美術品を空輸することになる。美術品と招待客を乗せて飛び立つジャンボ機だが、美術品を狙う強盗団にハイジャックされてしまう。航路を外れ、レーダーを避けて低空飛行しながらバミューダ海域の無人島を目指すジャンボ機。しかし夜の闇と濃い霧の中、海上油田基地のアンテナに接触してしまった機は墜落し、そのまま海底へと沈んでしまったのだった。

ジャンボ機が悪者にハイジャックされてエライことになるという映画というと、最近だと「乱気流 タービュランス」(1997)なんかを思い出します。エアポートシリーズを思い出させるような航空パニック風味の作品ではありましたが、結局飛行機の中で銃を撃ち合うアクション映画になってしまっていたのが個人的には残念。「エアフォースワン」(1997)とか「エグゼクティブ・デシジョン」(1996)なんかもそんな感じでしたか。はっきり言って、スピーディさと派手さが特徴の今の映画では単に飛行機に穴が空いたり墜落したりというだけでは映画を持たせられないのですねぇ。私なんかは'70年代パニック映画のまったりしたテンポが好きなものですから、今の何でもかんでも銃撃戦や格闘アクション無しでは魅せられないパニック映画風アクション映画はイマイチ情緒がないなぁなんて思ってしまいます。

さて、本作でのハイジャックグループの扱いはと言うと、なんとジャンボ機が墜落したショックで全滅してしまうのですねぇ。ここらへん呆れた展開ではありますが、一方でこの映画はアクション映画などではなく正統パニック映画なのだという意気込みも感じて私的には悪くないところです。ジャンボ機と乗客を危機に陥れた悪党どもは役目を終えると早々に退場し、後は乗客のパニック描写と救出活動に終始するまことに正しいパニック映画と言えましょう。

水圧によって機体が破壊される危機の迫る中、機長と乗客有志は機外に出て発信器付ムボートを海面に上げるという計画を実行し、犠牲を出しながらもそれに成功する。ようやく墜落現場を確認した海軍の救助隊は、ジャンボ機を巨大なバルーンによって海面に持ちげるという救出作戦を開始するのだった。

パニック映画としての本作の問題点は、乗客達が皆異常なほどに冷静で一向にパニックに陥らないところでしょうか(笑)。唯一リー・グラント扮する我が儘な婦人が騒ぐくらいですが、それもヒロインにパンチ食らって失神、そのまま終盤には失神したまま水死というあんまりな扱い。そもそもジェームズ・スチュワート、オリヴィア・デ・ハヴィランド、ジョセフ・コットン、ジャック・レモンといった往年の名優たちを中心に豪華なキャストを揃えた割に、まったくそれぞれのキャラを立てていない脚本に難あり。ヒロインのブレンダ・ヴァッカロはリー・グラントを殴る以外の見せ場は無いし、シリーズレギュラーのジョージ・ケネディは顔見せ程度だし、唯一乗客の中で積極的に動いてハイジャック犯以外の最初の犠牲者となるクリストファー・リーはまったくの無駄死にだし・・・これでは感情移入も何もあったもんじゃありません。豪華キャストが勿体なし。
そんな感じで人間描写もドラマもなってないものですから、見せ場のジャンボ機浮上救出作戦も映像的な迫力はあるものの盛り上がらないこと夥しいわけですよ。

この緊張感のないダメダメな演出を担当したのがジェリー・ジェームソン監督。この方はTVムービーを中心に活躍していたようで「パニック・イン・テキサスタワー」(1975)のような佳作もあるものの、まぁ劇場用映画の代表作と言えばパニックブームに乗って作られた本作と「レイズ・ザ・タイタニック」(1980) というどうにも盛り上がりに欠ける2作品くらいでしょうか。

まぁ本作の問題点を上げるときりがないわけでして、そもそも海中に沈んだジャンボ機からの脱出というシチュエーションが航空パニックと言えるのか、どっちかと言えば「ポセイドン・アドベンチャー」(1972)的海洋パニックではないのか、とか(笑)。ジャンボ機に乗っているのが一般乗客ではなく、少人数の上流階級の招待客だけとしたのがパニック描写をし辛くさせたのではないのか、とか。シチュエーション的に徐々に犠牲者が出て危機感を煽る展開に出来なかった、とか。

とまぁ散々ケチを付けつつも、そういったことを承知の上でこのおおらかなパニック大作がなかなかに好きなのですよね。果てしなく広がる海に沈んだジャンボジェット機という、そのどこか不可思議な光景。そしてそのジャンボ機を強引に浮き上がらせるという強引で非現実的な光景。そうしたワンアイデアのみで本作は忘れ得ぬ作品となっています。映画としては前作「エアポート'75」の方が圧勝と思いつつも、そんな映像のインパクトはあまりに強烈で子供心を直撃したのでした。


ところで、
副題にあるバミューダですが・・・。
バミューダ海域と言うとちょっとオカルトとかに興味がある人には常識とも言える多数の航空機や船舶が消息を絶った魔の三角海域でありまして、本作と同年のスピルバーグ監督作「未知との遭遇」(1977)でも重要な役割を果たしていました。そんなわけで本作の「バミューダからの脱出」というタイトルを聞いたときはワクワクしたものです。いったい魔のバミューダ・トライアングルがどうドラマに絡んでくるのかと。
ところが・・・単にジャンボ機が墜落したのがそのあたりの海域だったというだけで、物語には何の関係もありませんでしたよ・・・。
これが当時見た子供心にとっての最大のガッカリポイントでした(苦笑)。

放送記録:2006年05月13日PM07:30~09:15サンテレビ「シネマ・スタジアム」

Phantom_of_the_opera 昨日買い物ついでにふらりとダイソーに立ち寄ると映画のDVDを売っていました。版権切れの古典作品とは言え、税込み315円でこの名作を見られるとは良い時代ではありますね。元の保存状態があまり良くなく、画質はそれなり。字幕は手紙の文面等の翻訳がされてなく、また字幕翻訳そのものもあまり出来は良くない感じ。まぁここらも値段なりというところですかね。
ところで本作のオリジナル邦題は「オペラの怪人」のはずですが、昨今の「オペラ座」ブームに合わせて改題された模様ですね。

「オペラの怪人」(1925年)
THE PHANTOM OF THE OPERA

原作のガストン・ルルーの古典怪奇小説はこれまで何度も何度も映画化やドラマ化されています。特に舞台で大ヒットしてからは頻繁に映像化されていますね。それらの原点と言いますか、まぁ最初の映像化作品が1925年公開の本作です。
基本白黒映画でしかも無声映画の本作は、最近の舞台や映画の「オペラ座の怪人」に慣れ親しんだ人にとっては辛い部分もあるでしょう。けれどその面白さは制作から80年経った今でも色褪せていません。無声映画ならではの大仰な演技も、時代を感じるのんびりした雰囲気もこれはこれで味となっていますし、たまにはこういう古典の世界に浸るのも良いものです。
それにしてもこのオペラ座やその地下の迷宮の豪華にして絢爛な美術は素晴らしい。クライマックスの怒濤のモブシーンも迫力ありますし、怪人が赤き死の仮面に扮するマスカレードのシーンにパートカラーを盛り込むなど力の入った大作ぶりです。怪人の醜さ故に愛する女性に裏切られる悲劇。この愛と狂気の物語を風格を感じさせつつ、しかしあくまで怪奇映画としての本分を見失わずに描ききった脚本演出もまことに良し。

まぁなんと言いますか、「オペラの怪人」は確かに恋愛要素の強い物語ではありますが、私にとっては怪奇映画なのですよね。そういう意味では最近の文芸作品や恋愛ドラマとしての位置づけは少々肌に合わない感じです。先日の「デッドゾーン」の項でも書きましたハーバート・ロム版の「オペラの怪人」(1962)は監督が「吸血鬼ドラキュラ」(1957)や「フランケンシュタインの逆襲」(1957) といった傑作ホラーで有名なテレンス・フィッシャーということもあって見事な怪奇映画に仕上がっていました。ブライアン・デ・パルマ監督が撮った「オペラ座」ロック版「ファントム・オブ・パラダイス」(1974)も恐ろしくて哀しい大好きな作品であります。

さて本作で怪人に扮する主演のロン・チェイニーですが、千の顔を持つ男の異名を持つ変装(今で言う特殊メイクアップ)の名手にして伝説の俳優です。多数の怪奇映画に出演していますが、「ノートルダムのせむし男」(1923)や本作での怪人役がやはり代表作でしょうか。本作でヒロインによってマスクをはがされて奇怪な素顔を初めて顕わにするシーンはよく雑誌のスチールやホラー映画特集などで目にしたものですが、やはりなんど見てもショッキング。しかしその醜さゆえに悲劇的な最期をとげることとなる怪人の悲劇は、チェイニーの演技もあって見る者の心を打つことでしょう。
ちなみにチェイニーの息子さんのロン・チェイニー・Jrもお父さん同様に特殊メイクを得意とする俳優さんで、数多くの怪奇映画に出演していましたね。私的には狼男役者というイメージが強かったりしますが、それ以外にも多様なモンスター演じています。かの悪名高き(笑)「死霊の盆踊り」(1965) などにも出ていたそうですが、やはりあの狼男役だったのだろあなぁ。

先日友人と電話で話していまして、いつしか映画の話題になりました。で、最近の映画はCGを使いまくりで、逆にリアル感を削ぐことが多々あるよね~、と。例えばヤン・デ・ボン監督の「ホーンティング」(1999)。屋敷の壁に彫り込まれた子供の顔がCGで面白いようにグリグリ動きますが、それがあまりにも動きすぎるんで作り物にしか見えず、リアル感も恐怖感も無し。
こういうのはむしろ目の前でグリグリ動きまくるより、ふと目を離して次に見ると徐々に変化しているなんて古典的な手法の方が怖いのではないか。とまぁ、そんな話になったときにまざまざと思い出したのがコレ。

「怪奇!真夏の夜の夢」(1969)
NIGHT GALLERY

「ミステリーゾーン(トワイライト・ゾーン)」(1959~1965) の脚本&解説でお馴染みロッド・サーリングが同じく脚本と解説を担当して「絵画」をテーマにした怪奇TVシリーズ「四次元への招待」ROD SERLING'S NIGHT GALLERY(1970~1973)のパイロット版として制作されたTVムービーであります。その昔には夏場になると何度もTVで放送されていたものでした。
3話のショートエピソードからなるオムニバス作品である本作ですが、上記の古典的手法で怖がらせてくれるのがその第1エピソードです。

画家である叔父を殺して遺産と屋敷をまんまと手に入れた主人公。屋敷玄関の広間には叔父の描いた墓場の絵が飾られているが、叔父の遺体はまさにその絵に描かれた屋敷そばの墓場に埋葬された。
さて嵐が近づき豪雨が屋敷を襲うある夜、主人公は広間に飾られた絵を見て愕然とする。描かれていた墓場が、いつの間にか掘り起こされたような絵に変わっていたのだ。いったい何物の悪戯なのか。だが彼が目を離し、そして再び絵を見たとき、絵には墓穴から這い出す死体の姿が描かれていた。
それから彼が目を向ける度に絵は変化していく。墓穴から這い出した死体は徐々に屋敷へと近づいてくるのだ。恐怖に怯える主人公。そしてついに絵の中の死体が屋敷の玄関にたどり着いた次の瞬間、激しくドアを叩き付けるドンドンドンドン!という音が響き渡った。

【ご注意、ここからラストのネタバレです】と、一応書いておこう(笑)。
主人公はあまりの恐怖に心臓麻痺を起こして死んでしまう(階段から足を滑らせてだったかも)。と、その様子を見て一人の人物がほくそ笑みながら姿を現すと、広間の絵を外して隠してあった最初の墓場の絵を元に戻した。彼は次の遺産相続者(たしか弟?)で、複数の絵を順次掛け替えることで主人公をショック死に導いたのだ。
まんまと遺産を手に入れたと喜ぶ男。だが彼は広間の絵を見て彼は愕然とする。絵の中の墓場が掘り起こされていたのだ。そんな馬鹿な。慌てて自分が用いた例の絵を調べるが、その絵は確かにその中にあった。どういうことかと再び壁の絵に目をやると、いつの間にか絵の中の墓穴から死体が二つ這い出そうとしている。そして彼の見ている前で、絵は目まぐるしく変化していく。二体の死体は屋敷へと近づき、玄関の前に立った。恐怖に怯えながら彼が玄関のドアに目をやった瞬間・・・
ドンドンドンドン!

主人公に気づかれることなく絵を取り替えていくというのはかなり無理のあるトリックだとは思いますが、しかし恐怖感の盛り上げは演出もあいまって見事なもの。そして犯人の恐怖の表情や変化していく絵をスピーディーなカットバックで見せるラストはショッキングでありました。

さて、本作の第3エピソードもこれまた記憶に残る怖いお話です。

元ナチスの戦犯である主人公。彼は安アパートに身を潜めながら何時発見され逮捕されるかもしれないという恐怖に震え、夜もまともに眠れないような生活を続けていた。そんな彼の最近の日課は近所の美術館に出向くこと。そこには貼り付けになった血塗れのキリストを描いたようなおどろおどろしい絵画もあるけれど、その側に展示された風景画が彼の目当てだった。山々や緑の木々に囲まれた湖を描いた平和で美しい絵。その湖面には小さなボートが浮かび、一人の男がのんびりと釣り糸を垂れている。主人公はこの絵に心囚われ、出来ることならこの平和な絵の中の世界に逃げ込みたいと考えながら何時間も見入っていた。
そんなある夜、疲れでうとうととした彼は不思議な夢を見る。あの絵の中の世界が夢の中で現実となり、ボートの男がにこやかに笑いながら手招きしているのだ。目を覚ました主人公を待っているのは厳しい現実。絶望しながら再び美術館に向かった彼は、絵の中に描かれた男が実際に手招きするのを見た。それは夢の続きなのか、幻なのか。もしかしたら、強く念じ続ければ実際に絵の中に入ることが出来るのかもしれないと彼は思い始めた。
そんなある夜、突然彼のアパートのドアが激しくノックされた。ついに彼の居場所を突き止めた警察が踏み込んできたのだ。なんとかアパートを抜け出した彼は美術館へと逃げ込んでいた。真っ暗な館内。しかし通い慣れた彼は闇の中で問題なく例の絵へと向かった。彼を捜す警官隊の声が近づいてくる。彼は、闇のその向こうに有るはずの風景がに向けて祈った。どうか、自分をその絵の中に逃がしてくれと。

【ご注意、ここからラストのネタバレです】
翌朝、美術館の職員が昨夜の事件を語り合っていた。どうやら主人公は逮捕されることなく姿を消してしまったという。そういえば、と一人が言う。絵の掛け替えはもう終わったのかい? ああ、昨日の閉館後にやっておいたよ。ほら、あれだ。そこには壁から外された例の風景画が。では主人公はこの絵の中に逃げ込んだのではないのか。
風景画が掛かっていた壁には、今は別の絵が展示されていた。それはあの血塗れのキリストの絵。そのキリストの顔はいつの間にか主人公のものに変わっていた。
ふと、職員達はどこからともなく小さな男の悲鳴を聞いたような気がした。

このエピソードではとにかく前半の主人公の焦燥感の演出が恐ろしいです。そして平和な絵の中の世界に誘われる幻想の美しさが、ラストの強烈なオチを盛り上げます。そのあまりに悲惨なラストに、もうとにかく主人公が気の毒でならなかった記憶があります。


ところで、本作が意外と知られているのには理由があります。これがかのスティーヴン・スピルバーグ監督の商業デビュー作なんですね。
でも、あれっ? スピルバーグ監督の担当した第2エピソードの記憶がないですよ? 実は本作が日本でTV放送された際、時間の都合で第2エピソードがカットされたんですねぇ。日本で初放送されたのが1972年ということらしいんで、日本では出世作となる「激突」(1972)が公開される前。放送がもう少し後だったなら「あのスピルバーグの」ってんで売り出したところでしょうけど、当時としては無名の新人監督ということでワリを喰っちゃったわけですね。

さてロッド・サーリングですが、「ミステリーゾーン」や「四次元への招待」といった優れた怪奇TVシリーズを作る一方、多くの映画やTVムービーの脚本も担当しています。中でも「夜空の大空港」(1966)という作品が大好きだったりします。旅客機に一定の高度以下に下がると爆発する爆弾が仕掛けられて着陸できなくなるという、'70年代に大ヒットした「エアポート」シリーズの原点的な航空パニック作品です。そのサスペンスフルな展開はパニック映画好きなら必見であります。

なんともおどろおどろしいタイトルの作品ですが、その昔はちょくちょくTVで放送されていたものです。私も2~3度は見ましたが、初めて見終わった時は何とも奇怪なゾンビ映画のバリエーション作品を見たものであったなぁと少しブルーな気分で思ったものです。舞台はほぼ高層マンションの中だけに限定された見るからに低予算作品でしたが、しかし妙に心に残る映画でもありました。
この作品がデビッド・クローネンバーグ監督の初長編作品「シーバース」だと知ったのは「スキャナーズ」(1981) が日本で公開され話題になっていた頃でしょうか。

「シーバース」(1975)
SHIVERS

舞台はカナダ、モントリオールからほど近い島に建つ新築の高層マンション。いきなりTV画面に映し出されるのはパンツ一枚以外は全裸の少女がテーブルの上に横たわっている姿。眠っているのだろうか、それとも死んでいるのか。そこに被るTV邦題「SF人喰い生物の島」。上半身裸のハゲデブのオッサンがテーブルの向こうに立っている構図が何とも奇妙で興奮を誘う。が、予想に反してオッサンは手に持ったメスでいきなり少女の腹を切り開く。そしてその中に何かの薬品を注ぎ込んだ後、オッサンは自らの首をメスで切り裂いて自決するのだった。

ショッキングなオープニングです。この少女、非常に可愛らしくて小さめのオッパイも綺麗で、その点も本作が記憶に残る大きなポイントでもあります。が、その少女の可愛さが余計にこの(映像として傷口などは映らないものの)グロテスクなシチュエーションを引き立てます。
この映画、所謂スプラッターシーンなどの映像としての残酷さエゲつなさはかなり控えめです。その代わり、精神に来るグロテスクさは実に強烈。

オープニングで自殺したオッサンは少女を殺す為に彼女の腹を切り開いたのではないということが展開と共に明らかになってきます。彼は生物学者で、人の不全な内臓の代役を果たす寄生虫の研究をしていました。それは内臓疾患を持った人々にとって大きな福音となるはずでした。しかし徐々に狂気に犯された彼は、人間そのものの生命力や生存本能を活性化させたいと考え始めていたのです。人類が本来持っている本能を埋もれさせたのは後天的な常識やモラルである。ではそうしたものを取り払えばいいではないか。
彼は動物の最も根元的な欲望である性欲を強烈に高める寄生虫を生み出し、教師時代の教え子である少女の肉体を使って実験しました。予想通り少女はモラルを失いマンションの他の住人と次々に関係を持っていき、実験は成功に思えました。しかし彼の予想できなかった事態が密かに進行していたのです。寄生虫は少女の腹の中で増殖し、性交や口づけを介して関係を持った相手に感染することが分かったのです。彼は少女の腹の寄生虫を薬品で殺した後、自らも自殺することで研究の全てを闇に葬ろうとしました。しかし、すでに寄生虫はマンションの住人達の間で猛烈な勢いで増殖しつつあったのです。

寄生虫は体外に出されると強酸性の体液を滲ませながら凶暴化したりするものの、TV邦題にあるような「人喰い生物」ではありません。おそらくは寄生されてモラルを失った人々の姿がゾンビのようにも見えるところからこのタイトルが付いたのでしょうか。日本でゾンビの名を一躍知らしめたジョージ・A・ロメロ監督の「ゾンビ」(1978)よりも本作は前の作品ですが、性衝動に突き動かされるまま老若男女を問わず襲いかかっていく感染者の描写は同じロメロのゾンビシリーズ第一作「生ける屍の夜/NIGHT OF THE LIVING DEAD」(1968)の影響を受けていることは明らかでしょう。

自らの繁殖のために寄生した人間達を性欲にまみれさせる寄生虫。そして活性化させられた性本能のままに他の住人達に襲いかかり蹂躙する人々。映画では女性の胸の露出がけっこうあるものの直接的なSEX描写などは無く、多くを見る人の想像に任せています。しかしそのシチュエーションのアンモラルなエロティシズムとグロテスクさは恐るべきものです。
美しい若妻に迫る友人の女性やパンツ一丁でマンション内を徘徊する男性同士のカップルといったレズゲイ描写はほんの手始めで、愛らしい娘を自慢げに抱きしめる父親、首輪を付けられ四つんばいになって喜々として犬のように散歩させられる二人の幼い少女、幼女の目の前でレイプされる母親、管理人室での乱交やマンションのそこここで起こる集団レイプ、等々。モラルを失った人々が生み出す恐怖と嫌悪と興奮がない交ぜになった感情が見る者を襲います。
デビッド・クローネンバーグが本作の脚本を書き、監督したのが32歳の頃ですか。低予算の限界もあったろうし荒削りな部分も多々見られるものの、後の作品に続く奇怪で優れた才能が光った作品であります。

主人公は舞台となるマンション内で診療所を開く医者。彼はいち早く寄生虫の存在に気づくものの、その対応が後手後手に回ったことと寄生虫の拡散のあまりの早さになすすべもなく、一夜のうちにマンションの住人も恋人も寄生されてしまいます。そしてマンションから脱出しようとする彼も・・・。
この重くて鬱になる展開とエンディングは'70年代ホラーの特徴と言ったところでしょうか。

ところでクローネンバーグ監督のインタビューによると監督の名が知られて本作が海外で上映されたりした頃、「エイリアン」(1979)のパクリではないかというクレームをよく受けたとのこと。「スキャナーズ」(1981)や「ビデオドローム」(1982)の成功で知名度が上がった頃の話でしょうか。
寄生虫が人間の腹の中に巣くっていたり(腹を食い破って体外に出てくる描写もあり)、強酸性の体液だったり、人間の顔に張り付いて口から進入したり、とまあ確かに「エイリアン」との共通点がありますね。しかし制作年を見れば分かるとおり本作は「エイリアン」より古い作品です。むしろ「エイリアン」の原作者であり脚本を書いたゾンビ映画好きのダン・オバノンが本作を見ている可能性が高く思えます。
それと上のシチュエーションで書いた若妻に迫る友人の女性を演じているのがバーバラ・スティールだったりします。「血ぬられた墓標」(1960)「恐怖の振子」(1961)など多くの古典ホラー映画に出演していた女優さんです。その独特な美貌にホレていた人は数知れず。こうした往年の怪奇スターを自作に呼んでくるのはティム・バートンやジョー・ダンテ、ジョージ・ルーカス等のオタク監督の共通項かなぁ、なんてちょっと面白く思ったりもしますね。そう言えばスティールはダンテ監督のデビュー作「ピラニア」(1978) にも出ていましたね。

ところでところでTVで本作を見た当時、オープニングは上記のように裸の少女が殺されるシーンから始まり、ラストは主人公の医師が室内プールで住民の群れに追いつめられるシーンで終わっていたものですが、近年ようやくノーカット版を見るとその前後に本当のオープニングとエンディングがあったのですね。当時見た映画枠は深夜やお昼の映画劇場等1時間半枠(実質本編75分前後)での放送でしたので本編内も含めて結構カットされていたわけです。真のオープニングは新築高層マンションの夢のような生活を紹介するCMから始まって上記のシーンに繋がるわけですが、このオープニングはその後の地獄絵図を際だたせるためにも重要なものだったと思います。
しかし今はこういった作品も気軽にDVDとかで見られるのは幸せなことですねぇ。「ビデオドローム」の海外版ビデオを探し回っていた頃が夢のようですよ。

SHIVERS01

子供の頃、何度もTVで放送され何度も繰り返し鑑賞した思い出深い映画っていろいろあります。特にSFや怪奇作品が好きだったわけですが、SFに限って上げるなら「禁断の惑星」(1956)「宇宙戦争」(1953)「宇宙水爆戦」(1954)「SF人喰いアメーバの恐怖(マックィーンの絶対の危機)」(1958)「地球は壊滅する」(1965)「アンドロメダ・・・」(1971)等々等・・・。その他もろもろ、いずれ劣らぬ大好きな作品が数多くあるのですが、そんな中でも不思議な印象を後々まで残す作品が2本あります。
1本はドラキュラ等怪奇映画でお馴染みだった英ハマープロ制作の傑作、クォーターマス博士シリーズの第3作「火星人地球大襲撃」(1967)
そしてもう1本が・・・

「人類SOS!」(1962)
THE DAY OF THE TRIFFIDS

ある夜、無数の流星雨が流れる素晴らしい天体ショーに世界中の人々が見入っていた。しかし翌朝、流星雨を目にした人々が皆失明していたのだ。同時に流星雨に乗って地球上にばらまかれたとおぼしき食肉植物トリフィドが急成長し、根を使って地上を徘徊しながら人間を襲い始めた。盲目になった人々はトリフィドの餌になるしかないのか。トリフィドを絶滅させ、人類を救う術はあるのか。失明を免れた僅かな人々のサバイバルが始まる。

原題を見て分かるとおり、これはジョン・ウィンダムの書いたSF小説の古典「トリフィドの日」の映画化作品です。しかしこの映画化作品では原作を大胆にアレンジし、人間とトリフィドとの行き詰まる戦いをストレートに描いたスケールの大きな一級のサスペンス作品に仕上げられています。
主人公は目の手術で包帯を巻いていたために流星雨を見ることを免れた船乗り。駅で拾った孤児の少女と共にロンドンを脱出し、フランスからスペインへとサバイバルを繰り広げることとなります。それと平行して描かれるのは海の真っ只中の岩礁に建つ灯台で暮らす科学者夫婦で、こちらは隔絶された小さな世界で徐々にトリフィド達が迫り来るという密室サスペンス風味。ここらへんの構成が上手い。様々なタイプのサスペンスシーンが息も切らせず展開していきます。

監督はフレディ・フランシスとスティーヴ・セクリー。フレディ・フランシスと言えば傑作「がい骨」(1965) を始め「残酷の沼」(1967)「テラー博士の恐怖」(1964)「帰って来たドラキュラ」(1968)等多数のホラー映画を撮ってきたホラー映画界の大御所監督で、なるほど本作の迫り来る怖さも納得。また傑作古典ホラー「回転」(1961) やデヴィド・リンチ監督の「エレファント・マン」(1980)「砂の惑星」(1984) 、「グローリー」(1989)や「ケープ・フィアー」(1991)等々で撮影を担当した人でもあります。

一番強く印象に残っているのは終盤、主人公と少女がたどり着いた盲目の夫婦が暮らす農家で金網の柵に電流を流してホッとしたのもつかの間、翌朝起きてみると柵の向こうに見渡す限りに無数のトリフィドが集まってきていたというシーンです。これは子供心に本当にゾッとしたシーンでしたし、当時の特撮技術を考えても映像的に素晴らしいものでした。
中盤では森の中の屋敷で失明した多くの人の世話をする老婦人が登場しますが、その屋敷がトリフィドの群れに襲われた時に失明した人々を見捨てて婦人だけを連れて逃げる主人公の素早い決断にも、もはやこのサバイバルの中では盲目の人々は足手まといでしかないというそれまでの映画にない冷徹さが感じられて衝撃的でありました。

それにしてもこうした古い作品がTVで放送されることがめっきり少なくなり、本作も長らくもう一度見てみたいものだと思っていました。それが何と昨年ですがDVDになったのですよね。2作品を1枚のDVDに収めた2in1というやつで画質ははっきり言って良くありませんが、本作との再会は感動的でもありました。
今回再見して記憶を新たにしたのは、序盤で失明した人々がさまよい歩くロンドン市街のシーンや、後半のそこら中に車が乗り捨てられている無人のパリ市街のシーン。この市街の寒々としたシーンは見事で、どうやって撮影したものか。そしてまず頭に浮かんだのは数年前に公開された「28日後...」(2002)での無人のロンドン市街のシーンでした。思えばロンドン市民に奇病が蔓延する中、主人公が入院していたおかげで無事でいられるという設定からしても、「28日後...」が本作の影響を受けている可能性は高そうに思えます。
それと、「人類SOS!」には主人公達が立てこもる家に食人のトリフィドたちが迫り来るというシーンが何カ所かあります。これはジョージ・A・ロメロ監督の「生ける屍の夜/NIGHT OF THE LIVING DEAD」(1968)におけるゾンビの群れに襲われる一軒家という設定との大きな共通点と言えます。昨年出た2in1のDVDで本作と共に収録されているのが「生ける屍の夜/NIGHT OF THE LIVING DEAD」の原点と言われる古典SF「地球最後の男」(1964)であるというのもよく考えられたカップリングだと思えますね。

ところで本作と「火星人地球大襲撃」はどちらもイギリス作品なんですよね。SFにしろホラーやミステリーにしろ、不思議とイギリス製のものが妙に肌に合うと言うか気に入ることが多いです。米国製のどこかおおらかで脳天気な作品も悪くないのですが、英国製のどこか生真面目で理詰めな作風が好きなんですね。

ジミー・ウォングという役者さん、実は密かにブルース・リーやジャッキー・チェンと並ぶ香港アクションスターだと思っていたりするんです。まぁ確かに華のないルックスだし、アクションも今一なんですけどね。でも何かこう存在感みたいなのがあるな、と。
そのジミー・ウォングさん、「新座頭市 破れ!唐人剣」(1971)で勝新太郎の座頭市と対決したりもしてるわけですが、何と言っても代表作は「片腕ドラゴン」(1972)でしょう。悪漢に右腕を引きちぎられ、残った左腕を鍛えに鍛えて悪党どもを皆殺しにする伝説の映画です。
そしてその続編。

「片腕カンフー対空とぶギロチン」(1975)
ONE ARMED BOXER VS FLYING GUILLOTINE

前作でぶっ殺された悪漢のお師匠さん、空飛ぶギロチンを駆使する暗殺拳の使い手である盲目の神封が片腕ドラゴンへの復讐を誓うところから物語はスタート。一方の片腕ドラゴンはと言うと、道場を開いて後進の育成に当たっています。体を軽くする練習と称して天井を逆さまにすたすた歩いたりしていますが、ついて行ける弟子はいるのでしょうか。

さてその頃近くの町の道場が天下一武道会を開催すると言うので、片腕ドラゴンも弟子達を連れて見学に出かけます。ここからしばし、復讐話も片腕ドラゴンもそっちのけで武道会の描写が延々と続きます。映画としてのバランス悪いです(笑)。が、ここで描かれる異種格闘戦はこれはこれで楽しいのです。
中国拳法の多種流派に加えて、ムエタイにモンゴル相撲、インドからは自在に腕を伸ばすことの出来るヨガの達人、日本からはトンファを武器に戦う(笑)無剣流のサムライが参戦。それぞれが必殺の拳の使い手だけに敗者のほとんどが死に至る壮絶な対戦が主人公を無視して延々と続きます。
そこに突如乱入する神封。出場者の首をスパスパとギロチンで刎ねると片腕ドラゴンを殺すことを宣言するのでした。

さしもの片腕ドラゴンも恐るべき空飛ぶギロチンへの対処方を編み出せない中、神封の手下となったヨガ使いが道場を襲撃。すでにその名が中国全土に鳴り響いている片腕ドラゴンだけに、彼を倒して名を上げたいと考える武芸者も大勢いるようです。なんとかヨガ使いを倒した片腕ドラゴンは拠点を郊外の小屋に移し、そこでギロチンへの対処策を思いつくのでした。

刃物は竹に弱い!

神封を倒す前に邪魔な神封のもう一人の手下、ムエタイの達人を始末しなくてはなりません。彼はムエタイを小屋に誘い込むと小屋の周りに火を放ちます。小屋の床は鉄板に変えらており、それを炎が熱く熱するという仕掛けです。これでは常に裸足で行動していたムエタイはたまりません。慌てて小屋から逃げ出そうとするとドラゴンの弟子達が槍で邪魔をしてくるのです。いわば大きな猫じゃ猫じゃに追い込まれたようなものです。
手足が焼けただれる地獄のような苦しみの中、ムエタイはなすすべ無く片腕ドラゴンに殴り殺されました。
悪に勝つためならどんな卑劣な手でも使う片腕ドラゴン、恐ろしい男です。また無表情のまま淡々と相手を殺していくジミー・ウォングの(いつもの)芸風にゾッとするような狂気を感じる瞬間でもあります。

さて、片腕ドラゴンは自分の仕掛けたトラップにかかって神封に案内を頼まれただけの無関係な町人が爆死したことも意に介さず、いよいよ神封との一騎打ちに挑みます。
あらかじめ用意していた竹を神封の投げるギロチンで次々切らせる片腕ドラゴン。たちまちギロチンの歯は欠け、使い物にならなくなってしまいます。ギロチンを失った神封と、片腕ドラゴンの肉弾戦がついに始まるのでしょうか。
いいえ、片腕ドラゴンはもっと確実に相手を仕留める手段を練っていました。

町へと戻るドラゴンは神封を葬儀屋の店内へと誘い込みます。そこには多数の小鳥が飛び交い、その羽音で盲目の神封の耳を封じようという作戦です。さらに葬儀屋店内の各所には自動的に武器を射出する装置が仕掛けてあったのです。
全身に次々と飛んでくる斧を受け、血塗れになりながら必死に戦い続ける神封。もはやどちらが正義なのか分からなくなってきます。正々堂々と戦えと言う神封の心の叫びが聞こえてくるようです。そんな無惨な盲目の老人を、片腕ドラゴンは(無表情のまま)必殺のパンチで空高く吹き飛ばしたのでした。

ジミー・ウォングの持つ静かな狂気、ここに極まれり。
主演のジミー・ウォングは脚本監督も担当し、まさに歯止めのきかない暴走ぶりです。ジャッキーばかりが香港アクションではない、娯楽の暗黒面ここにあり(笑)。機会あればぜひ堪能していただきたい逸品であります。

放送記録:2006年01月19日AM2:14~4:05読売TV「水曜亜細亜電影」

6日の稲垣版「女王蜂」に触発されたわけでなく、以前より再見したかったので新年の三が日に鑑賞しました。

「八つ墓村」(1977)

0601yastuhaka01 TV放送では何度か見てそれでも5~6年ぶり。ノーカット・ノートリミングで見るのはロードショー公開時以来ですから、実に28年ぶりですか。
感想は以前にもウチのHPで書いていますんで、良ければそちらも見ていただければと思います。

で、少しだけ書くなら、改めてムードが素晴らしいなぁって思いました。
市川崑監督の一連のシリーズがどこか醒めた本格ミステリー作品を目指しているのに対して、この松竹版「八つ墓村」は実におどろおどろしい雰囲気に包まれた半ば和製ホラー作品として仕上がっています。
野村芳太郎監督を始めとする「砂の器」(1974)のスタッフが制作ということで当時本格ミステリーを期待していた向きも多いと思われますが・・・と言いますか私もそうだったのですが、その期待は良い意味で裏切られたと感じたものです。
まぁ「砂の器」自体本当に本格ミステリーかと言われると若干の違和感は感じるのですが。

八つ墓村等のロケーションや多治見家の美術なども実に見事で、当時の松竹がいかに力を持っていたかと偲ばれます。
役者陣も市川崑監督の金田一シリーズに劣らず豪華で、芸達者を揃えていて良いです。渥美清の演じる金田一耕助は当時から賛否有りましたが、個人的には作品に合っていて悪くないかと。
ただ、クライマックスの洞窟の中で辰弥(萩原健一)が死にそうな目に遭っているのに、その外で金田一さんがのんびり淡々と事件の謎解きをしている構図が・・・これはこれで良いと頭で分かっていてもつい笑ってしまいますが。交互に展開する真犯人の狂気と金田一さんのぼくとつさの対比なわけですが、ここで渥美清という配役が生きてくるわけですよねえ。

同じ題材を扱いながらまったく方向性の違う市川崑監督の「八つ墓村」(1996)と比べ見るのもまた楽しいかと思います。
もっとも市川版「八つ墓村」は先の石坂浩二の金田一シリーズと違っていろいろと制作上の問題も多かったようで、決して市川崑監督のベストワークに仕上がっていないのが残念ですが。

と言うわけで、いろいろと記憶を新たにした「八つ墓村」鑑賞でありました。

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