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公開当時あまり芳しい評判を聞かなかった映画ですが、地上波初放送ということで見てみました。
「着信アリ」(2004)
「リング」の呪いのビデオの二番煎じではあるけれど、今や多くの人が身につけている携帯電話で呪いが伝播していくという発想は悪くない。実際、近い未来の自分自身から電話を受けた人間が次々死んでいく発端から、TV局生放送中のスタジオのパニックまでの前半はなかなか面白いのだ(怖くはないけど)。特に実際に起きた「生き人形」事件を意識しているのだろうTV局のくだりは、メディアの傲慢さ残酷さが出ていてなかなか良い感じ。ただその放送を見ていたであろう視聴者側の反応を一切無視した脚本はちょっと残念。
さて、ところが映画後半の謎解きに入るととたんに話に整合性が無くなってしまう。廃病院でのドタバタはいったい何だったのだろう。前半であれほど活用していた携帯電話もいつのまにかまったく無意味な小道具に成り下がってしまう。そもそも諸悪の根元が子供の幽霊だったと判明した時点で携帯電話で呪う必然性がまったく無くなってしまうのが痛い。幽霊はただひたすらに恐ろしげではあるけれど意味のない行動を取り続け、映画は単なるお化け屋敷になってしまうのだった。「呪怨」(2002)のごとく最初からお化け屋敷映画と開き直っているならともかく、前半での意味深な謎をすべてすっ飛ばしてのこの展開はいかがなものか。企画・原作の秋元康氏的にはこれまでのジャパニーズホラーのパターンをあれこれ詰め込んでおけばOKとでも思っていたのかもしれないけれど、正直言って失敗であったと。前半だけを思えば勿体なくも感じてしまいます。
あ、廃病院のシーンの最後で(シルエットで)幽霊がカツラ?を脱ぐシーンがありましたが、あれは少女の霊が母親に化けていたということ? 幽霊が変装するって・・・(苦笑)。それとこの映画に限らずですけど、いい加減黒い長髪と白塗りの女幽霊というワンパターンな幽霊像には飽きてきましたねぇ。
もう一つ、例えばこの映画の中で主人公の後ろから女幽霊が天井を歩きながらゆっくり近づいてくるが、主人公が振り向くと消えているというシーン。例えば「呪怨」で被害者が扉に背を向けてエレベーターに乗っていると、扉のガラス窓の向こうで子供の白塗り幽霊が各階に立っているというシーン。確かに怖いビジュアルではあるけれど、劇中人物が見ていない(気づいていない)ところで彼ら幽霊は何をやっているのか。最近のJホラーでやたらと多いこの手の「(劇中の被害者ではなく)映画を見ている観客を懸命に怖がらせようとしている幽霊」という構図を繰り返し見せられると、どうにも気持ちが醒めてしまうのですよね。こういう劇中人物視点ではなく、観客視点からの幽霊を描写するという演出を多用しまくるというのはいかがなものなのだろうか。
さてさて、その口直しというわけでもないのですが、本日は以前に買ってそのまま置いてあったDVD水野晴郎シネマ館「古城の亡霊」(1963)をようやく鑑賞しました。怪奇映画の古典ですが、その完成度は高し。これについてはまた次回にでも。
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