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映画のコトやら何やら綴りませう
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「ガンダム」のシリーズは初代「機動戦士ガンダム」(1979~1980)で感銘を受けて以来、途中抜けつつも「機動新世紀ガンダムX」(1996)までは見続けていました。が、まぁそこらあたりでもう流石について行けなくなって以降は見るのをやめてしまいました。正直もうこれ以上「ガンダム」の名を汚すような作品は作らないでくれという気分でした。「機動戦士ガンダムSEED」(2002)なんかも久々の新作と言うことで最初の数話は見てみましたが、面白みのないキャラデザと登場人物全般の異常な言動、見た目は綺麗だけれど味の無いMSの作画、そして情けないセルフパロディとも言えない盗作ぶりと、見ていて暗たんたる気分にさせてくれました。

そんな中で唯一、見ていなかったのを後で少し後悔していたのがこの「∀ガンダム」でした。過去の「ガンダム」シリーズ全てを内包し、その結末を描いた作品。番組の終了後にそんな話を聞いて、仮にも「ガンダム」のファンなら見ておくべきなのだろうかと思ったものでした。
まぁ思っただけで、結局今まで手を出さなかったのですけどね。
しかし一昨年に見た同じ富野由悠季監督の「キングゲイナー」(2002~2003)がやたらと面白かったり、友人から薦められたりもあって、今回思い切って見始めましたよ。

とりあえず第3話まで鑑賞・・・。

うん、面白いじゃない。昔設定画で見て格好悪いと思った∀ガンダムも動いているのを見るとなかなかに格好良いですし。
とりあえずこれからも少しずつ見ていこうかと思います。最後までこの調子で面白ければいいなぁ。

まーそれはそれとして、第2~3話あたりの設定ですが。
20世紀初頭くらいのヨーロッパあたりを想定しているのでしょう地球の街を月から飛来した奇怪なデザインのMSが襲撃。地球側は恐ろしく旧式なプロペラ戦闘機で迎え撃つもののまったく太刀打ちできないという構図。
これって今年公開されたスピルバーグ監督の「宇宙戦争」(2005)以上に原作の「宇宙戦争」ぽい展開で、何とも言えずゾクゾクさせてもらいました。
こういう突如として出現した非日常的な物事によって、それまで何事もなく続いてきた日常が一瞬にして崩壊する光景って実に映画的でワクワクしてしまいますよね。アニメで同様の興奮を感じさせてくれた作品と言うと、やはり富野由悠季監督の「聖戦士ダンバイン」(1983)第16話「東京上空」が強烈に思い出されました。

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長い旅の果て、ついにゲルダとラギは雪の女王の城への入り口にあたる大氷河へとたどり着いたのでした。装備を調えて氷河へと足を踏み入れる一行。しかしそこには想像を超える危険が満ちあふれていたのです。

と言うわけで今回は危機また危機のアクション編というところでしょうか。
見所は何と言ってもラギの超人的な身体能力。まさに人間業とは思えない活躍の数々は、やはり英雄ホルガーと関係があるのかと思わせてくれますね。
また、ラギの旅の目的がついにはっきりと明言されました。やはり彼の目的は雪の女王に再びまみえること。
しかしラギは物語の終盤飛んでくる氷塊の直撃を受け、巨大なクレバスへと落ちていってしまうのでした。ゲルダを助けるために自ら二人を繋ぐロープを切ったラギ。ラギを失ったゲルダの慟哭が胸を打ちます。



まぁ、視聴者は誰もラギが死んだなんて思っていませんけどね(笑)。
それでも見ていて泣けてくるところが映像と力強い演出のなせる技でしょう。

◎その他見所。
・今回もやはりラギの動向を気にしまくっていた雪の女王。早く二人の再会が見たいところです。
・ゲルダが歌を歌うと突然崩れ落ちる氷河。ここは笑うところですか?(笑)
・氷河の中で水に落ち、全身びしょ濡れになっても平気で歩き続ける二人。ラギはもちろんゲルダの体力もすでに超人の域です。
・ラギのジャンプにタイミングを合わせて飛んでくる巨大な氷塊。結構絵的にマヌケです(笑)。
・そして、ラギのことを一番大切な人と言い切ってしまったゲルダ! ええと・・・物語的にそれでいいんでしょうか。まぁ私的にはOKですが(笑)。

で、あの二人を狙って飛んでくる氷塊は女王の城を守る自動防衛システムということでいいんでしょうかね? 対空砲に続いて、女王の城がますます要塞の様相を呈してきました。

さてひとまずラギと別れることとなったゲルダ。物語も終盤に近づいてますます過酷な旅になっていくのでしょうか。

ところでですねぇ、ちょうどラギがクレバスに落ちていくシーンで近畿地方での地震速報が入ったのですが、それも凄いタイミングで「心配はありません」と(笑)。
ネットでキャプチャを拾いましたので上げておきますね。

snow051127

今日のサンTV「シネマスタジアム」は先週の「マンハッタン無宿」(1968)に続きクリント・イーストウッド主演、そして「荒野の七人」(1960) 「大脱走」(1963) 「宇宙からの脱出」(1969)等の名匠ジョン・スタージェス監督による渋い娯楽西部劇でした。

「シノーラ」(1972)
JOE KIDD

メキシコの小さな町シノーラで、移民してきたアメリカ人によって先祖伝来の土地を奪われたと暴れ回るメキシコ人の一団。その無法に対し、怒りに燃える大地主が立ち上がった。

と書くと、いかにもありがちな西部劇ドラマですね。特にメキシコ人をインディアンに置き換えれば、さらにありがち感が増します。
本作の2年前、それまで映画の中で正義のヒーローとして描かれていた騎兵隊による残虐非道なインディアン虐殺を描いた「ソルジャー・ブルー」(1970)が作られました。インディアン(ネイティブ・アメリカン)を否定的に描くことが問題視され、それまで全盛を極めていた(白人至上主義的な)オールド西部劇が姿を消しつつある時代でした。
そうした流れの中で作られた本作は以前ならばインディアンに割り振られる役割をメキシコ人に置き換え、西部開拓の名の下に彼らの土地を奪い続けた白人に対する彼らの怒りを代弁しようとしたのかもしれません。

とは言え、そこは多数の西部劇をふくめ数々の娯楽作を撮り続けてきたスタージェス監督のこと、そのドラマは実に明快で娯楽性に満ち、あくまでもオーソドックスな演出は安心して見ていられます。

イーストウッド扮するは腕は確かだが酔いどれのだらしない男ジョー・キッド。キッドは町の大物ハーランから荒野の道案内を頼まれます。その旅の目的は土地を奪い返そうとするメキシコ人一派のリーダー、チャマを殺すことでした。
最初は興味がないと断るキッドでしたが、白人を憎むチャマのグループに友人を殺されたことで旅に加わることを決意するのです。

主人公ジョー・キッドは「荒野の七人」のクリスやジョン・ウェインのような正義感溢れるヒーローとは描かれません。ハーランが捕らえたチャマの恋人を犯しても、無関係なメキシコ人を撃ち殺しても、キッドは怒りを感じながらも体を張ってまでそれを止めようとはしません。ここら辺の主人公像はどちらかと言えばマカロニ・ウエスタンの流れを感じますし、イーストウッドが演じることでなおさらその思いを強くします。
そしてついにハーランがメキシコ人の村を襲撃してチャマをおびき出すために村人たちを処刑しようとした時、そしてチャマとの戦いに参加しなかったキッド自身までもがハーランの囚われの身となった時、ついにキッドは行動を開始します。
ここらへん、ハーランの残虐な行動から村人を守るためか自身の身を守るためか、キッドの行動原理がはっきりとしないのがやや難にも感じますが、キッドの飄々としたキャラクターからすればこれでいいのでしょう。

チャマと接触したキッドはチャマに対して裁判に訴えるよう説得します。これもまた西部劇らしくない地味な展開ですが、面白い展開でもありますね。
クライマックスはハーラン一味が待ち受けるシノーラの町に乗り込んでいくキッドとチャマ。キッドは蒸気機関車を使って町中に突入し、激しい銃撃戦の末にハーランを倒すのでした。
しかしこの機関車が建物に突っ込んでいく派手な見せ場も、銃撃戦も、スタージェス監督の演出は妙にのんびりしていて緊迫感がありません。ハーランの手下も何人か倒されたところであっさりと降参してしまいますし。こののんびり感は派手なアクション西部劇を期待していた向きには肩すかしぽく感じますが、極力本作では人の死を描きたくないという監督の意志のようなものも感じます。

残酷な町の大物ハーランを演じるのは名優ロバート・デュヴァル。その冷静にして徹底した悪役ぶりは見物でした。
そしてキッドとの間にいつしか友情すら感じさせる人間味溢れるメキシコ人リーダーのチャマを演じるのが数多くの作品で活躍する名脇役ジョン・サクソン。その出演作はマイナーなB級作品が多いのですが、「燃えよドラゴン」(1973)やアルジェント監督の「シャドー」(1982)など印象的でした。

放送記録:2005年11月30日PM7:30~9:15サンTV「シネマ・スタジアム」

先週発売になった「スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐」(2005)のDVDですが、劇場公開時に不評紛々だった戸田奈津子氏の字幕が修正されると雑誌等で公表されていたため発売前から注目を集めていました。
「スター・ウォーズ」研究本などの著者川原一久氏が字幕監修にあたり、なんでもその修正箇所は400にも及んだとか。

で、見ました。
細かい差違までは分かりませんが、とりあえず「掃除が大変だ」とか「第一銀河帝国」といった大きなトンデモ訳は修正されていてホッとしました。

もちろんこれは良いことだと思います。しかし、劇場公開時にどんな酷い字幕でもDVDにするときに手直ししておけばOKみたいな風潮が広まるのなら、やはりそれは大きな問題でしょう。
今回FOXさんは確かにDVDをより良い形にして世に出しました。しかしだからといって劇場公開版の字幕に問題があったこと(すなわち不良品を金を取って見せていたこと)を決して認めないし謝罪もしません。
なぜ(世界的に見ても)高い鑑賞料を払ってまで劇場まで足を運ぶという最も大事にすべき映画ファンに不良品を見せて平気な顔をしていられるのでしょう。
これから公開される大作話題作の多くの字幕を、やはり戸田氏が担当しています。もちろん戸田氏であっても酷い誤訳や珍訳が無ければ問題ないわけですが、現在公開中の「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」(2005)でも終盤にとんでもない誤訳があったと聞きます。
本当に映画ファンを大事にするならば、劇場公開時から正しい字幕で見せて頂きたい。そもそもそうした方が後から手直しするような余計な手間もお金もかけなくてすむと思うのですけどねぇ。

まぁそんなわけで、当ブログは字幕翻訳家の立場から勇気ある告発を続けておられる落合氏を応援しています。

「Heather 落合寿和の字幕翻訳日記」
http://blog.livedoor.jp/heather1/

ついでに戸田奈津子氏が過去にどんな誤訳をしていたか知りたい人に。

「戸田奈津子誤訳・珍訳集 - 誤訳かもだ」
http://the-thing.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?%B8%CD%C5%C4%C6%E0%C4%C5%BB%D2%B8%ED%CC%F5%A1%A6%C4%C1%CC%F5%BD%B8
直接飛べないようですのでコピペしてください。

さて、今夜はセガールアクションの登場です。

「奪還 DAKKAN アルカトラズ」(2002)
HALF PAST DEAD

最新のハイテク刑務所として再オープンしたかのアルカトラズ刑務所に収監されたセガールさん。そこにはかつて金塊を強奪し、その隠し場所を漏らさぬまま処刑されようとしている死刑囚がいた。突如アルカトラズを襲う武装集団。彼らは死刑囚から金塊の隠し場所を聞き出そうとしていたのだ。セガールさんはその武装集団と戦うことになるのだった。

と言うわけで、まぁ特に目新しい内容でもありませんが、とにかくセガールさんのいつもながらの無敵ぶりを見ているだけで楽しい一本でありました(笑)。
まぁとにかく強い強い。「沈黙のアルカトラズ」とでも邦題付けても良かったのではないかと思うくらいにいつものパターンですが。

監督と脚本を担当したのはドン・マイケル・ポール。以前にアクション映画の(ある意味)傑作「ハーレーダビッドソン&マルボロマン」(1991)の脚本を書き、本作が監督デビュー作ということらしいです。
なるほどなるほど、本作の内容の無さとアクション映画としての面白さは「ハーレーダビッドソン&マルボロマン」とよく似ています。
少し不満を言わせてもらうなら、早回しやスローモーションなどジョン・ウー監督作品や「マトリックス」(1999)シリーズを意識しまくったような所謂スタイリッシュな映像の多用が鼻につくことでしょうか。ワイヤーアクションの多用については、セガール映画としてはちょっと新鮮だったかな。
刑務所内の構造がもう一つはっきりしなかったのも残念。そこらへんの説明があればもっと緊張感を増すこともできたと思うのですが。
あ、それと敵のボスを倒すのがセガールさんじゃなかったのはどうだろか。

と言うわけで、まー堅苦しいこと考えずに一時の娯楽を求めるには最適の作品であったかと。こういうボケーっと見ていられる映画は好きですわ(笑)。
ただセガールさんもさすがに老けちゃいましたねぇ。

放送記録:2005年11月27日PM9:30~11:25ABCTV「日曜洋画劇場」

ところで、
昨日のエントリーで「仄暗い水の底から」(2001)が様々な作品からの寄せ集めと感じると書き「13日の金曜日」(1980)等を例としてあげました。が、実は見ている間中それ以上に強烈に思い出されるもう一本の映画がありました。
その作品と「仄暗い水の底から」の共通キーワードは
「水」「浴槽」「溺れた子供の幽霊」「哀しみと共感」そして「何度捨てても帰ってくる子供の持ち物」。

changeling01 「チェンジリング」(1979)
THE CHANGELING

交通事故で妻と幼い娘を一度に失ってしまった作曲家。彼は人付き合いを嫌い、一人哀しみを忘れ作曲活動に勤しむため郊外の古い屋敷に引っ越します。妻子の遺品を目に付かぬように箱に仕舞い込みようやく落ち着きを取り戻し始めた頃、屋敷の中で不思議なことが起こり始めるのです。
突然屋敷の中に響き渡るドーンドーンという何かを叩くような音。誰もいないはずの2階の浴室から聞こえる水の音。何度箱の中に戻してもいつの間にか外に出ている娘が遊んでいたボール。そして隠されていた屋根裏の小部屋で見つけたオルゴールから流れる旋律は、たった今彼が作曲したばかりの曲なのでした。
この屋敷に隠された謎を解き明かそうとする彼は、ある夜再び響き渡る音に浴室へと飛んでいきます。そこで彼が見たものは、浴槽の水の中に浮かぶ幼い少年の苦悶の表情。溺れ死のうとする少年のその腕が水の中で浴槽に何度も打ち付けられ、その音がドーンドーンと辺りに響き渡っていたのでした。
少年はかつてこの場所で殺されたのか? 誰に? 何故? そして何を訴えようとしているのか。

物語はオーソドックスな幽霊屋敷モノであり、その描写は地味です。しかし怖い。
特に何度も目の前に現れるボールをついに遠くの川へ放り込んだ主人公が屋敷に帰ってきたシーン。暗い階上へと続く階段から聞こえてくるポーンポーンという音。それはゆっくりと弾みながら階段を落ちてくる濡れたボールでした。このシーンの見事な演出も相まってのゾクリとする怖さはいまだに忘れられません。
この映画が公開された'70年代後半といえば後のスプラッターブームに続く残虐なホラー映画が全盛になりつつある頃でした。しかしその中で本作は異色とも思えるほどにオーソドックスなゴシックホラーの流れに沿って作られ、人を怖がらせるのにむやみやたらな残虐なショックシーンなど必要ではないと教えてくれた作品でもありました。

主人公は街の歴史記念館の資料からこの屋敷の記録が抹消されていることを知り、屋敷と少年に隠された秘密を解き明かそうと考えます。そして明かされる驚くべき真実とは何か。その時「チェンジリング」というタイトルの意味もまた明らかになるのです。

本作の特徴は本当に怖いホラー映画というだけではなく、その中で描かれる哀しみや優しさこそが本質部分であったと思えます。失ってしまった我が子と幽霊の少年をいつしか重ね合わせ、少年への慈しみの感情と共にその哀しみや訴えに答えてやろうとする主人公。我が通らない時の幼い子供さながらに荒れ狂うポルターガイスト現象を前にして父親のごとく一喝する主人公のシーンは、恐怖よりもむしろほほえましさすら感じる名シーンでありましょう。

主人公の作曲家に名優ジョージ・C・スコット。物語の鍵を握る老富豪にやはり名優メルヴィン・ダグラス。この二人の重厚な演技が物語をしっかりと支えます。
怖さと優しさが同居した、この作品はマイナーなのが勿体ないほどの完成度の高い傑作でありました。


ところで本作が劇場公開された時、主題歌をヒカシューが歌っているのが話題になりました。当時は日本で勝手に主題歌を作ってエンディングに流して公開ということが結構ありましたね。傑作「ナイル殺人事件」(1978)などもエンディングで流れる勝手に主題歌「ミステリー・ナイル」が非常に印象深かっただけに、歌が流れないオリジナル版を見るとどうしても物足りなく感じてしまうのが困りものであります。


ところでところで、「仄暗い水の底から」を見た後2chの実況板を覗いてみたのですが、何度も帰ってくる赤い鞄についてこんな書き込みがありました。

>343 名前:名無しさんにズームイン![sage] 投稿日:2005/11/25(金) 22:50:13 ID:viv/rXxi
>旅行先で買ったお土産をあのカバンの中に入れて
>その辺にほおって置けば、帰ったときに家に勝手に
>戻ってくるという寸法だな

ナイスアイデア!(笑)

「チェンジリング」鑑賞劇場記録:梅田・ニューOS劇場(旧)・・・だったと思います

以前に放送した時には見逃してしまっていたので改めて鑑賞です。
「女優霊」(1995)や「リング」(1998)で大層怖がらせてくれた中田秀夫監督作品ですが、「リング2」(1999)のメタメタさにかなり失望していたのでまぁ期待半分くらいの覚悟で見ました。

「仄暗い水の底から」(2001)

さりげない日常の中での不気味な雰囲気を描写する演出は流石ですね。でも、一つ一つのドラマがその雰囲気を裏打ちするリアルさに欠けていたのがどうにも最後まで気になってしまいました。
例えばすぐにでも母娘で暮らす住居が必要だと言いながら「来週内装します」というリフォーム前のマンションに決めたこと。あれほど目立つ天井のシミに気づかないほど、まるでまともにチェックしない黒木瞳。あれほどポタポタと滴が垂れているなら速攻で不動産屋を怒鳴りつけてでも呼び出すところなのに、それもせずただ我慢。管理人の無能ぶりにもただ我慢。
まぁどこまでが必要な描写か不必要な描写かは難しいところですが、こういった部分を見る者に不自然と感じさせないのがリアル感を高めるためには重要だと思うのですけどね。
おそらく監督さんとしては黒木瞳さん演じる主人公の病的とも言えるおどおどぶりで説明したかったのだろうと思うのですが、その主人公のおどおどぶりがまたやりすぎ感が強すぎです。怪異現象や幽霊に出合う前からあの病的な雰囲気では、娘は父親と暮らす方が幸せそうだと視聴者は思ってしまいますよ。特に夫婦離婚の原因が描写されていないだけに。
ついでに、定期的に点検清掃を業者が行っている貯水槽の中の死体が何年も発見されなかった理由も気になるところです。

さて物語の方ですが、こちらもどうもピリッとしません。「マンションの貯水槽には死体が浮かんでいる」という有名な都市伝説から生まれた物語なのでしょうが、それ以外にも様々なところからの寄せ集めドラマという印象が強く感じら、ドラマそのものが非常に薄いのですね。
水の中で溺れた子供が幽霊となって(あるいは実は生きていて)現れるというのは、クライマックスで姿を現す少女のおどろおどろしいメイクアップも含めて「13日の金曜日」(1980)を意識していると思われます。貯水槽が内側からボコボコと盛り上がる力強さもジェイソンならともかく少女の霊の仕業としては不自然ですし。
やはりクライマックス、エレベーターの開いた扉から濁流となって汚水が噴き出す意味不明のシーンは「シャイニング」(1980)へのオマージュのつもりでしょうか。
水道の水に混じって髪の毛が出てくる、上の階の部屋が水浸しになっている、等々一つ一つのシーンは怖いのにそれらの描写が映画の中で一つにまとまらずに散漫な印象となるのも勿体ないなぁと。
あ、でも我が子を連れて逃げたはずなのに開いた扉の向こうからその子が出てくるという最大の見せ場はかなーり本気で驚いてしまいました。しかしこのシーンでCMを入れるTV局のセンスの無さにも驚かされましたが(笑)。
母親の愛を求める幽霊少女から我が子を守るため(同時に少女への同情心もあったのか)自ら犠牲になる主人公。ここらへんも上手くやれば感動的なシーンになるはずなのですが、そこに至るまでの少女の想いの強さが描かれていないためあまりに唐突でこれまた勿体ないと思わされました。

でラスト、いきなり10年後の成長した娘が登場する以降のシーンですが、無理矢理感動させたい感が強く、娘の独白も練り込まれていないため蛇足としか思えませんでした。
全体としては素材は良いのに生かし切れなかった残念な作品といった印象です。
ついでに、マンションの内部が悲しいほどにセット丸出しだったのも興ざめでしたねぇ。


さてさて、現在ハリウッドリメイク版の「ダーク・ウォーター」(2004)が公開中ですが、こちらはどんな感じなのでしょう。予告を見る限りではなかなか怖そうですけどね。主演のジェニファー・コネリーは「フェノミナ」(1984)で見た時そのあまりの可愛さに呆然としただけに、(歳を取ってもやはり美しいとはいえ)今の彼女を見るのはちょっと辛いものがありますけどね。

放送記録:2005年11月25日PM9:30~11:25読売TV「金曜ロードショウ」

邦題といい、監督ドン・シーゲルといい、クリント・イーストウッド主演といい、あたかも西部劇かと思わせますが、シーゲル監督らしい乾いた雰囲気いで描く骨太な刑事アクションであります。

「マンハッタン無宿」(1968)
COOGAN'S BLUFF

まず映るのは広大なアリゾナの砂漠。そして岩陰から何者かに銃を向けるインディアンの男。
はて? やはり西部劇だったかしらん? と思わせる楽しい導入部です。
イーストウッド扮するはアリゾナの田舎の保安官補クーガン。一匹狼を気取り乱暴な捜査で上司の覚えも良くないクーガンは犯人引き取りの為にニューヨークへと単身出張することとなります。そして舞台は一転、摩天楼の建ち並ぶ大都会へ。
慣れない都会に辟易しながらも犯人護送の任に付くクーガンは、しかしミスから犯人の逃走を許してしまうと言う大失態を犯してしまいます。ニューヨーク市警からの協力も得られぬまま、クーガンは単身大都会の闇に身を潜めた犯人を追うのです。

まず何より、クーガンのキャラクターが後にやはりシーゲル監督とコンビを組む「ダーティハリー」(1971)のハリー・キャラハン刑事と被っていて面白い。本作があってこそ「ダーティハリー」という傑作を生み出されたのは想像に難くありませんね。大きく違うのはクーガンはニューヨークでは警察官としての権限が無いため拳銃を携帯せず、素手で敵に立ち向かうところでしょうか。逃走犯発見までの道筋がやや安易すぎるきらいはあるものの、執念で追いつめていくクーガンの迫力はさすがシーゲルとイーストウッドのコンビだと言えましょう。

もう一人、ニューヨーク市警の警部を演じるリー・J・コッブの存在感もまた素晴らしい。コッブと言えば「十二人の怒れる男」(1957)でヘンリー・フォンダと激しく対立する陪審員役も印象的でしたが、何と言っても「エクソシスト」(1973)の警部役が見事で、死去の為「エクソシスト3」(1990)での同役が演じられなかったのが残念でなりません。
堅物で融通が利かず怒りっぽい、しかしその実部下思いの上司と言えばこの手の刑事物では必ず出てくるキャラクターですが、この「マンハッタン無宿」でコッブが演じる警部も(主人公の上司と言うわけではありませんが)同様のキャラクターで物語に深みを出していました。

ところでヒロイン役のスーザン・クラークよりもずっと魅力的な、時代を感じさせるヒッピー娘であり逃走犯の情婦を演じるティシャ・スターリングのコケティッシュな可愛さはなかなかに特筆物。でもって彼女が入り浸っているヒッピー達のゴーゴークラブの描写もまた時代を感じさせてくれて楽しいのですが、そのクラブの中で映写されているフィルムの中に一瞬イーストウッドが無名時代に出演した「タランチュラの襲撃」(1955)が映るのがちょいとニヤリとさせてくれました。


しかし・・・裏で「ハリーポッターと賢者の石」(2001)を放送しているというのに、わざわざこっちを見ている人なんてそんなに居ないのだろうなぁ(笑)。

放送記録:2005年11月23日PM7:30~9:15サンTV「シネマ・スタジアム」

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