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とにかく派手、かつ大味なスパイアクションでした。
「007 ダイ・アナザー・デイ」(2002)
DIE ANOTHER DAY
なんつーか、一昨日見た「トリプルX」と同じ年の制作なんですけど、見終わった印象が似たり寄ったりで困ってしまいます。
まぁ今作に限った話ではなく、007シリーズもすっかりそこらのアクション映画のパターンに飲み込まれてしまったようで。確かに周りのアクション映画がどんどん派手になって007に追いついてきたというところはあるわけですが、007ならではの味や洗練されたオシャレ感が無くなってしまったのが寂しい。普通のアクション映画として見れば並以上に面白いのは確かなんですけどね、それだけじゃ007である意味がない。
それと、不必要にハードなベッドシーンとか007に求めていませんから。
ボンドガールも(007シリーズ的に言えば)どんどんレベルが下がっているなぁと思いますよ。ハル・ベリーは女優としては好きな方ですが、ボンドガールとしてはなんともそぐわない。もう一人のロザムンド・パイクも含めて下品で愛嬌のないキャラクターに閉口します。まぁ80年代以降のこの手の映画のヒロインってのは「強い」「たくましい」女性が人気なのはわかりますがね、007くらいは見た人が憧れを抱けるようなヒロインでいて欲しい。
007というのは一種のお伽話的パターンであり、様式美が大事だと思うんですよね。世の中に迎合して、自ら007ならではの味を埋没させていってほしくないところですが。
さて物語は北朝鮮の将校が秘密裏に衛星兵器を作り上げ、クーデターを起こして韓国とその後ろにいるアメリカを粉砕しようとするお話。
公開当時北朝鮮が猛抗議をしたとかで話題になりましたねぇ。
しかし実際に見てみると、悪党として描かれるのはクーデターを起こした大佐とその取り巻きだけで、以外や北朝鮮そのものの描写はさほど悪い物ではありません。むしろ穏健派の将軍などは非常に理性的な人物として描かれていますし。
これに比べれば冷戦時代のソ連とか戦争映画のドイツなんかの描写はまさしく鬼畜。
ついでに当時は韓国も、映画終盤の農村の描写がまるで発展途上国のようだと抗議したそうでした。農民の人が水牛を引いているところにランボルギーニが落ちてきて水田に突き刺さってるというシーンですが、制作側としてはランボルギーニのエンブレムが水牛をデザインしているからというシャレのつもりだったそうで。ちょっと分かりにくいね(笑)。しかしそれはそれとしても抗議が好きだなぁ、あっちの人は。
しかし今回この映画を日曜洋画劇場で放送したというのはかなり意外でした。TV朝日と言えば中国、韓国、北朝鮮のご用メディアとして有名なわけで、そこで「北朝鮮や韓国が抗議した」映画を放送するのは勇気がいることだったと思います。
そしてその結果、舞台が北朝鮮や韓国だと思わせるようなセリフは全てカット。本来なら場面変更の際には出るはずのテロップも無し。舞台がキューバに移るとしっかりテロップ出るのにね。もちろん軍服などの知識が有れば画面からわかるのですが、そういう知識が無ければどこの国かわからないという仕掛け。
そのくせ、「日本は虫けらだ」なんてセリフはしっかり残ってるわけで・・・
流石です朝日さん。
そしてだめ押しに映画の後に出たテロップ。
「この映画はフィクションであり、実在のものとは関係ありません」とかなんとか。
思わず爆笑してしまいました。
今まで実在の国が悪役に描かれている映画を散々流してきても、こーんなテロップ入れたことは一度も無かったのに~(笑)。
そこまでビビッて気を遣いまくるなら、最初から放送しなければいいのにね。
朝日といえば以前の「パール・ハーバー」(2001)の放送も酷かったですね。音声弄って日本兵がハワイの一般人を気遣うシーンを消したり、元々悪意のこもった映画でしたがそれ以上に日本を極悪に描くことに腐心していました。
朝日さん、これからも中国韓国北朝鮮のため反日頑張ってください。
っと、話が映画からずれてしまいましたが、
いろいろ言いつつも007は子供の頃から大好きなシリーズでしたし、これからも続いて欲しいとは思っています。
毎回新作作ってるという話を聞く度に楽しみにしているんですよ、いや本当に。愉快なスパイ道具なんかを見るのも好きなのですが、でも透明自動車みたいな(こういうのが研究されていることは知っていますが、まだまだ実用化は無理みたいな)リアル感の欠ける代物は勘弁してください。
リアルと非リアルの狭間を上手く映像化しているような雰囲気がいいんですよねぇ。
放送記録:2006年01月15日PM9:00~11:25ABCTV「日曜洋画劇場」
とにかく派手、かつ大味なスパイアクションでした。
「トリプルX」(2002)
XXX
て、もう書くことも無いんですけど(笑)。
まぁ前半はわりと真面目なスパイ物と思いきや、後半は世界の壊滅なんて話になって007調。主人公も場当たり的な活躍で危機を切り抜け、めでたしめでたしです。
しばらくすると内容をすっかり忘れてしまいそうなタイプの作品ですが、とりあえず見ている間は楽しめたのでOK。
監督は大味アクション大作ならまかせとけのロブ・コーエンですね。昨年は「ステルス」(2005)なんてのもありましたが(未見)、「ドラゴン・ハート」(1996)とか結構好きです。
ところで本作のヒロインはアーシア・アルジェントでしたね。イタリア・ホラーの奇才ダリオ・アルジェントの娘さんで、子役時代はめちゃくちゃ可愛かったのですがすっかり色っぽくなってしまいました。もちろん美人なのですが、どうにもお父さんの面影が色濃く出てきているのが良かったのか悪かったのか(笑)。
アーシアの出演最新作「ランド・オブ・ザ・デッド」(2005)についても近いうちに。
放送記録:2006年01月13日PM9:00~11:25読売TV「金曜ロードショー」
6日の稲垣版「女王蜂」に触発されたわけでなく、以前より再見したかったので新年の三が日に鑑賞しました。
「八つ墓村」(1977)
TV放送では何度か見てそれでも5~6年ぶり。ノーカット・ノートリミングで見るのはロードショー公開時以来ですから、実に28年ぶりですか。
感想は以前にもウチのHPで書いていますんで、良ければそちらも見ていただければと思います。
で、少しだけ書くなら、改めてムードが素晴らしいなぁって思いました。
市川崑監督の一連のシリーズがどこか醒めた本格ミステリー作品を目指しているのに対して、この松竹版「八つ墓村」は実におどろおどろしい雰囲気に包まれた半ば和製ホラー作品として仕上がっています。
野村芳太郎監督を始めとする「砂の器」(1974)のスタッフが制作ということで当時本格ミステリーを期待していた向きも多いと思われますが・・・と言いますか私もそうだったのですが、その期待は良い意味で裏切られたと感じたものです。
まぁ「砂の器」自体本当に本格ミステリーかと言われると若干の違和感は感じるのですが。
八つ墓村等のロケーションや多治見家の美術なども実に見事で、当時の松竹がいかに力を持っていたかと偲ばれます。
役者陣も市川崑監督の金田一シリーズに劣らず豪華で、芸達者を揃えていて良いです。渥美清の演じる金田一耕助は当時から賛否有りましたが、個人的には作品に合っていて悪くないかと。
ただ、クライマックスの洞窟の中で辰弥(萩原健一)が死にそうな目に遭っているのに、その外で金田一さんがのんびり淡々と事件の謎解きをしている構図が・・・これはこれで良いと頭で分かっていてもつい笑ってしまいますが。交互に展開する真犯人の狂気と金田一さんのぼくとつさの対比なわけですが、ここで渥美清という配役が生きてくるわけですよねえ。
同じ題材を扱いながらまったく方向性の違う市川崑監督の「八つ墓村」(1996)と比べ見るのもまた楽しいかと思います。
もっとも市川版「八つ墓村」は先の石坂浩二の金田一シリーズと違っていろいろと制作上の問題も多かったようで、決して市川崑監督のベストワークに仕上がっていないのが残念ですが。
と言うわけで、いろいろと記憶を新たにした「八つ墓村」鑑賞でありました。
と言うわけで、
昨年のTV放送が見れなかったので、正月に改めて鑑賞。
「猫の恩返し」(2002)
THE CAT RETURNS
これは秀作「耳をすませば」(1995)の番外編と言いますか、同作のヒロイン雫が劇中で書いていた小説の映画化という設定でしたっけ。すっかり大艦巨砲主義となっているジブリ作品の中で極めて小品であり、娯楽に徹した作品でもありました。
結論から言いますと、とても楽しく良くできた作品でした。
女子高生ハルはある日一匹の猫を助けたことで不思議な世界をかいま見ることとなる。猫たちの恩返しは、まことにありがた迷惑なものであった。
昨今の宮崎駿監督作品とは違って肩肘の張らないドタバタコメディは心地良いものでした。状況に安易に流されるヒロインの何も考えてない感も作品に合ったキャラクターで、作品全体にどこか現実味のないファンタジックな風味を与えています。まぁここら辺が本作に対する賛否の元ともなっていると思いますが、個人的にはハルの大きな魅力となっていたと思いますよ。
やもすれば押しつけがましく感じるような問題意識を廃し、スラップスティックに徹した内容は75分程度という短い上映時間もあってスピーディに展開。特に「長靴をはいた猫」(1969)を意識したであろうクライマックスの塔の螺旋階段での追いかけっこなどは「まんが映画」を見ているような懐かしい楽しさに満ちています。
ジブリには大作の合間にでも、これからもこういう出来の良い小品を作っていただきたいものです。
ですが・・・たぶんもう無理なんでしょうね。
今のジブリは常に大ヒット作を作らねばならない状況に置かれています。つまり宮崎駿監督作品が常に望まれ、宮崎駿監督作品でなくてはスポンサーも乗り気にならない。そして本「猫の恩返し」の成績が今一つだったことで更にそういう状況が加速されたわけです。
本作の森田宏幸監督にとってはまことに気の毒な状況であったと思いますし、ジブリが後進の育成を決定的に怠っていたツケが回ってきた感じです。宮崎監督の最大の後継者と目されていた「耳をすませば」の近藤喜文監督が1998年に若くして亡くなられたのも本当に惜しまれます。
ジブリ作品だからといって、それだけで大ヒットするわけではない。そのことが明らかになりました。
観客はジブリ作品だから見に行くのではなく、宮崎駿監督作品を望んでいる。
・宮崎監督作品ではない。
・キャラクターデザインがこれまでのジブリ作品と比べて違和感がある。
・大作ではない。
・併映(「ギブリーズ episode 2」)が面白く無さそう。
「猫の恩返し」にとっては厳しすぎる条件が整っていました。
しかし数年前から宮崎駿監督が引退をほのめかしている現状で、ジブリは生き残りをかけた後継者探しに躍起になっています。本年公開予定のジブリ最新作は大作ファンタジー作品となる「ゲド戦記」ですが、昨年12月に正式発表された監督には目を疑いました。
宮崎吾朗 第一回監督作品。
宮崎駿監督の息子さんである吾朗氏は、そのプロフィールを見ても分かるとおりこれまでアニメ制作に関わったことのない方です。それがいきなりジブリの大作映画の監督とはどういうことでしょう。しかも「ゲド戦記」と言えばファンタジー小説好きの間でも熱狂的なファンの多い作品であるため、この発表に不安を感じたファンの人も多いと思います。
実を言えば私自身は映画「ゲド戦記」の出来にさほどの不安は感じていません。優秀なスタッフの多いジブリのことですから、誰が監督をしたところで水準以上の作品を作り上げるだろうことは想像に難くありません。「ゲド戦記」も長大な原作ですから「ハウルの動く城」(2004)のように原作を下敷きにして大幅な改編やオリジナルな展開をして一部ファンを嘆かせることがあったとしても、作品そのものの完成度は高い物になると信じています。
ですが宮崎吾朗氏にとって初監督作でジブリ大作の監督をするということは決して良いこととは思えません。「ゲド戦記」が失敗すれば、やはり素人ではと言われ、親の七光り監督と言われるでしょう。成功してもそれはジブリのスタッフのおかげと言われ、どちらにしても宮崎吾朗氏にとっては厳しい評価がなされることになると思われます。
吾朗氏の演出家としての才能は未知数で、それこそやってみなければ分からないというところでしょう。個人的には誰が監督しようが「面白ければ」問題はないんですけどね・・・。でも、今回のジブリの人選には疑問を感じます。ジブリにも有能な演出家は多数居るはずなのにもかかわらず、まったくの素人を持ってきたこと。これはつまり「実」より「名」を取ったということであまり良い印象はありません。またジブリの演出家以下、多くのスタッフにとっても面白くないことではないでしょうか。
この時、ジブリの崩壊が始まっていた・・・と後の世で言われないことを祈るばかりです。
さて、宮崎吾朗氏の監督日誌によると氏が「ゲド戦記」の監督に就くことを父親の宮崎駿監督は反対だったとのこと。
では誰が吾朗氏を監督の座に押し上げたのかと言えば、それはもちろん悪名高きプロデューサーの鈴木敏夫氏であるわけです。ジブリ存続のためになりふり構わず活動する氏の姿は企業トップとしては不思議はないのかも知れませんが、そのあまりにも映画への愛の無さは一ジブリファンとしては暗たんたる気分にもなります。
そう言えば「猫の恩返し」の併映作「ギブリーズ episode 2」は鈴木氏の落書きからスタートした実験作でしたね。いったいどういう経緯で映画になったのか知りませんし、その技術的な凄さは認めるものの、ああいう「猫の恩返し」とまったく方向性の違う実験的作品を無理に併映にして金を取るというのはどうにも納得のいかないものがありました。
新年も1週間が過ぎ、そろそろTV番組も正月仕様から通常に戻ってきましたね。
と言うわけで、待ってました! 「雪の女王」 、3週間ぶりに待望の再開であります。
掟を破ったため樽に詰められ滝落としの罰を受けることになったフリーダ。母アマンダはフリーダを助けようと川に飛び込み、滝から落ちて瀕死の重傷を負ってしまったのです。
フリーダとゲルダはアマンダを助けるため、大トナカイのベーに導かれて危険な蘇りの泉を目指します。そこには泉の番人白い怪物が待ちかまえているのでした。
フリーダに厳しい罰を言い渡しながら同時に逃げ道を用意し、普段から敵対していたアマンダに死が近づくとなると涙にくれるガイオン。フリーダを救うために命をかけ、もって半日と診断されながら娘のこととなると大暴れするアマンダ。かつて受けた恩と友情のため巨大な白い怪物に立ち向かうベー。危険な場所と知りつつフリーダの後を追おうとする山賊達。そしてフリーダとの友情を行動で示すゲルダ。
例によってそこに居るのは心優しき人々です。
悪人は居ません。山賊の話なのに(笑)。白い怪物と呼ばれる巨大な熊ですら、彼は泉の番人としての使命を全うしただけで悪ではありませんでした。
3話に渡って描かれた今回の山賊編。それは娘に対する母のわがままな愛を嫌いながら、その母の危機に娘の愛をもって答えるフリーダ。そしてゲルダやベー、多くの山賊達の思いに真の意味での友情を知るフリーダの物語でした。
やや内容の薄さもあって3話は長すぎた感もありますが、全編ギャグタッチで描きながら泣かせどころを心得た良い仕事であったと思います。今回もしっかり泣き笑いさせてもらいましたしね。
ところで今回は新年一発目ということもあってか作画も気合い入っていました。とか思いましたが、本来は解散総選挙が無ければ今回のが昨年最後の放送になっていたはずなんですよね。当初の予定では次週のエピソードが新春初放送だったはずで、予告を見てもそれっぽい雰囲気が漂っていて予定通り行かなかったのはちょっと残念でしたねぇ。
ともあれ、ベーという力強い旅の仲間を得てゲルダの氷の城を目指す旅も再開です。
いよいよ物語も残り8話。どう展開するか先の読めないこの物語を、最後までじっくりと楽しみたいものです。
笹持ってこーい!
と言うわけで今日は宵宮えびすで近くの「えべっさん」にお参り。
恒例の東京コロッケも味わおうと思ったのですが、えらく人が並んでいたので残念ながらスルー。
それにしても昔は沢山あった金魚すくいの夜店が最近は随分減りまして、代わりに人形すくいやスーパーボールすくいなどが増えましたね。撤収や移動が大変だとか、今時の子供は生き物の世話をしないとか、動物愛護の観点からとか、まぁいろいろと理由があるのでしょう。カラーヒヨコなんかも完全に姿を消しましたし。
なにやら面白いという噂を聞き、「ぱにぽにだっしゅ!」という面妖なタイトルのアニメを見る(笑)。
キャラクター配置など確かに「あずまんが大王」と似ていますが、よりテンション高く、ギャグも不条理系が多い感じ。結構好き嫌いの出そうな作風ですが、私的にはなかなか面白うございました。
「名探偵コナン」はここ数ヶ月ほどまともに見ていなかったのですが、今日はスペシャルということで久しぶりに鑑賞。
名探偵コナン放送10周年記念超拡大SP!
「ブラックインパクト、組織の手が届く瞬間」
黒の組織とのドラマが大きく動く、原作でも面白かったエピソード。
強力な縛りがあってアニメ制作に際しての自由度がほぼ無いと言われる「コナン」ですが、今回も実に妥当な出来。まぁこれも原作付きアニメの一つの形でしょう。原作で読んでいるだけに驚きや緊張感はありませんでしたが、やはり面白い話でした。
放送記録:2006年01月09日PM7:00~09:24読売TV「名探偵コナン放送10周年記念超拡大SP!」
原作付きアニメと言えば「金色のガッシュベル!!」がこの春で終了するとか?
現在放送中のファウード編、終了に向けてかなりアニメオリジナルな展開になってきているそうですね。関西では数週遅れで放送されていますので、まだどんな風に変わっているのか確認できませんが。
昨年公開の映画第2弾「メカバルカンの来襲」(2005)の成績も芳しくなく、TVの方も打ち切り的な感じなのかもしれません。現在作者が負傷したため原作の連載も中断していますし、原作者にとってはなにかと巡り合わせの悪い時期になってしまったようです。
そう言えばその「メカバルカンの来襲」、先日DVDになったんでしたね。個人的には好きなタイプの映画な気がしますので見てみなくては。
今年になってから、溜まっている映画のビデオや見たかった映画のDVDなどを少しずつ見ています。そこらへんも順次書いていきたいのですが、なかなか書いている時間が無し。まぁ感想書いている時間があれば別の作品を見ていたいという部分もありますが(笑)。
とりあえず、急がずゆっくり参りましょう。
稲垣メンバーが名探偵金田一耕助に扮する、「犬神家の一族」(2004)、「八つ墓村」(2004)に続く好評シリーズの第三弾いよいよの登場です。前作前々作とTVドラマとしては力の入った作品で、今回の作品も楽しみにしていました。
今回の「女王蜂」も「犬神家の一族」や「八つ墓村」と同様、何度も過去に映画化やドラマ化された作品ですが、そのため新作を作ると必ず過去の作品と比べられる運命を背負っています。もっとも傑作とされる映画版のある「犬神家の一族」「八つ墓村」と違って「女王蜂」の過去映像化作品はどうにもピリッとしないものが多いので、今回は幾分スタッフとしても気が楽だったかもしれませんが。
「女王蜂」映画で言えば市川崑監督、石坂浩二主演の「女王蜂」(1978)と岡譲二主演の「毒蛇島奇談 女王蜂」(1952)を見ています。「毒蛇島奇談」の方はオリジナリティに溢れていて比較しにくいのですが、1978年版が市川崑と石坂浩二のシリーズ5作の中で極めて評価が低いのは脚本の混乱ぶりと、そして何よりもヒロイン智子を演じた中井貴恵の大根ぶりでしょう。
今回の智子(と母親琴絵の二役)を演じるのは演技力には定評のある栗山千明。
女優としてもルックス的にもわりと好きな栗山千明ですが、しかしその個性的な風貌は男達を引きつけてやまない絶世の美女という役所には違和感あり。言い方は悪いですが栗山のどちらかというと下品な顔立ちも厳しいところですが、旧家のお嬢様と言うには上品さがまるで感じられない立ち居振る舞いが致命的かと。栗山本人も頑張って演技しているのは分かるのですけどね。演出家としてもそこら辺が分かっているのか琴絵に波打ち際を走らせるなどやや現代的なキャラクター付けもしていたようですが、残念ながらそれも中途半端な努力にしか見えませんでした。
栗山、稲垣以外の役者陣を見ると、大道寺当主役の石橋凌はさすがの存在感。しかし全体的には小粒感が強いです。市川崑版の豪華な配役が印象に強いせいも大きいでしょうけど。
さてドラマですが、
事件を淡々と時系列通りに描く脚本は正直退屈。もともとこの物語は横溝の他作品に比べてそんなに面白いものでも無いので1978年市川崑版などでも精一杯ドラマティックに盛り上げようとしていたものですが、それを妙に淡々と描く本作は少々手を抜きすぎかな、と。「女王蜂」という題材も難しいものだったでしょうけれど、シリーズも3作目となって残念ながら少々スタッフ的にもマンネリ気味になってきたのかもしれません。
今後もシリーズが続くとしたら(そして個人的には続くことを望みますが)、横溝作品の中でもこれまであまり映像化された事のない原作を選ぶか、知名度の為にメジャー作品から選ぶとしてももっと映像的に見栄えのする原作を選ぶべきでしょう。
ところでこのシリーズでは毎回最初と最後に原作者の横溝正史自身(演じるは小日向文世)が登場して金田一耕助と会話するシーンがあるわけですが、今回初めて横溝が金田一に同行して事件に出くわすというのは、今後毎回やられても困りますが面白い設定でした。あまり生かされているとは言えませんでしたが。
と言うわけで次回に期待。次作るとしたら何だろ。メジャー作品から選ぶとすれば、「獄門島」あたりが妥当かな?
放送記録:2006年01月06日PM9:00~11:20関西TV「金曜エンタテイメント新春特別企画」
と言うわけで見ました。
「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」(2004)
HARRY POTTER AND THE PRISONER OF AZKABAN
現在4作目の「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」(2005)が公開中の「ハリー・ポッター」シリーズはそもそも第1作「ハリー・ポッターと賢者の石」(2001)でファミリー向けファンタジー映画としての出来の良さに感心し、第2作「ハリー・ポッターと秘密の部屋」(2002)で早くもマンネリ感に囚われ、少なからず興味を失っていました。原作未読者としてはその余りにダイジェスト然とした作りも好感触とは言えませんでしたし。
で、第3作目。
最大の興味はゲイリー・オールドマンの出演でしょうか。それと予告編からも伝わるこれまでにないダーク・ファンタジー的な雰囲気。第1作目時に最大の関心事(笑)であったハーマイオニーの可愛らしさは成長と共にすでに無く、それ以前に作品中のキャラクターとしても影が薄くなってしまって登場人物の一人に過ぎなくなってしまったのはまことに残念であります。
しかしその期待のゲイリー・オールドマンですが、どうにもつまらない役を引き受けたなぁという印象です。別にオールドマンを善人として使うのはいいけれど、それならそれでもっと上手い見せ方もあっただろうにと勿体なく思います。そしてオールドマンほどの役者を出演させるなら、本来ならポッター最大の凶悪な敵くらいやらせて欲しかったとも思います。
物語は予想通りダークな雰囲気が強く画面も暗く沈んでいます。しかしそのわりにドラマはあまりに子供っぽ過ぎるし、逆に子供が見るには陰湿で暗い物語に思えます。例によってのダイジェスト感も相まって、終始中途半端な印象が強い作品に仕上がっていました。シリーズ通してですが、何か起きるとさして伏線も無いまま便利アイテムや便利魔法が登場するのも唐突感が強いですし。
一般のレビューなどを読むと、やはり原作をはしょりすぎで説明不足という感想が目立ちますね。結局は1本の映画にまとめるだけの力量不足というところなのでしょう。
そもそもファンタジーとしては特にオリジナリティのある物語でもないわけで、そこで原作のダイジェスト的映画化でOKという感性ではこんなものだったのかもしれません。
「ハリー・ポッター」の映画は年に一度のお祭りであるとも思います。そういう意味では映画化されたことそのものが重要であるのでしょう。しかしそこに高い映画の完成度があれば本当に文句なしだったのにと思うと残念ではあります。
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