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この連休は実家でのんびりとしていました。たまにはパソコンが無い生活も良いものですね。まぁ少しばかり情報に飢えてしまいましたが(笑)。
ところで16日分のコメントにもありましたが、「スペース・バンパイア」(1985)が久々の地上波放送であります。美乳ねーちゃんやクライマックスのゾンビの群れによるロンドン壊滅のスペクタクルなどもさることながら、なんと言っても吸血鬼の伝説にハレー彗星や異星人を絡めたのが良い感じ。ジョン・ダイクストラの特撮も見事だし、ヘンリー・マンシーニの勇壮(過ぎる(笑))テーマミュージックも楽しいSFホラーの名作であります。
SFTVドラマ「スター・トレック」――と言うより「宇宙大作戦」というタイトルで呼びたいですが――が大好きだった身としては映画「スター・トレック」(1979年)の制作情報を聞いたときは驚喜しました。あの「宇宙大作戦」を最新の特撮技術で大画面で観ることが出来るのだ! その後入ってくる情報にも期待は高まる一方でした。主なオリジナル・キャストの出演、監督はあの名匠ロバート・ワイズ、特撮にはダグラス・トランブルとジョン・ダイクストラ(そして降ろされたけれどボブ・エイブル)。ついに雑誌で公開されたニュー・エンタープライズ号もオリジナル版の雰囲気を壊すことなく、惚れ惚れするほど実に美しくリファインされたものでした。
そして公開された映画「スター・トレック」は期待に違わぬ出来でした。スケールアップされた「宇宙大作戦」らしいドラマに、(少し老けはしたけれど)懐かしい顔ぶれに、あくまで優雅で美しいエンタープライズ号の姿に感動すら覚えたのでした。
けれど、この映画の一般的な評価はあまり高いものではなかったような気がします。「スター・ウォーズ」(1977年)的なものを期待していたのでしょう一般観客からは「地味」「難解」と言われ、「宇宙大作戦」ファンの中からもTVシリーズの中のいくつかのエピソードをつなぎ合わせてスケールアップしただけで目新しさが無いとも酷評されました。こうした評価をもっともなものだと理解しつつも、でもだからこそこの映画「スター・トレック」は素晴らしいと思ったものです。そこに「スター・ウォーズ」のような宇宙船同士の戦闘も光線銃の撃ち合いも無いけれど、「宇宙大作戦」そのものが目の前に展開することが嬉しかったのです。
さて、その後公開された第2作目「スター・トレック2 カーンの逆襲」(1982年)を観た時、不思議な感覚を覚えました。前作以上の娯楽性とスリリングな展開に興奮しながらも、どこか「宇宙大作戦」ぽくない。それは「スター・ウォーズ」ブームにあやかったような(本来「宇宙大作戦」ではあり得ない)宇宙船同士の至近距離の撃ち合いがあったからではありません(実際作中でそういう状況に至る設定がしっかりしていたので不満はありませんでした)。そう、完成度は高いけれどどこか同人誌的と言うか・・・パロディ的と言うか。TVエピソードのキャラクターであるカーンが今回復活してカーク船長に戦いを挑むというファン泣かせのドラマにしても、そういったファンジン的な感覚を呼び起こさせるものでした。熱狂的ファンが作った「宇宙大作戦」のオリジナル続編エピソード――と言うと少しニュアンスがわかってもらえるでしょうか。
そして本作の監督の名前を確かめて、得心がいきました。
監督:ニコラス・メイヤー
ああそうか、この映画は「スター・トレック」のパスティーシュだったんだ。
メイヤーの名前は昨日書いた「霧の街ロンドン」の中にも出てきますが、シャーロック・ホームズの傑作パスティーシュ小説「シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険」の著者です。ちなみにこの小説は映画化され(「シャーロック・ホームズの素敵な挑戦」(1976年))、メイヤーは自ら脚本も書いています。これも大変面白い映画でした。
メイヤーは大のSFファンであると同時に有名なシャーロキアンであり「シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険」「ウエスト・エンドの恐怖」という傑作を執筆しました。そしてホームズファンの多くが辿る道、19世紀末の英国ロンドンへの愛着を持っていたのでしょう。
メイヤーは1975年のTVムービー「アメリカを震撼させた夜」の脚本を担当しています。これはオーソン・ウェルズ劇団がH・G・ウェルズの「宇宙戦争」をラジオドラマとして放送し、その内容を信じた人々がパニックに陥ったという実話をドラマ化したものですが、メイヤーがこの作品に関わっていたことは偶然とは思えません。そしてメイヤーが初監督作品として撮ったのが「タイム・アフター・タイム」(1979年)。
スコットランド・ヤードに追いつめられた切り裂きジャックが逃げ込んだのは、新作小説「タイムマシン」の完成記念パーティを開いているH・G・ウェルズの家だった。ジャックは身を隠そうとした地下室で奇妙な機械を見つけて乗り込んでみるが、突然彼を乗せたまま機械は消え去ってしまった。実はH・G・ウェルズは小説だけでなく、本物のタイムマシンまで完成させていたのだ(笑)。殺人鬼を別の時代に送り込んでしまった責任を感じるウェルズは自らもタイムマシンに乗り込むと、現代のロンドンにやってくる。そして現代でも殺人を繰り返すジャックを懸命に追うのだった。
現代のロンドンを舞台に伝説の殺人鬼切り裂きジャックをシャーロック・ホームズのごときスタイルで追い続けるH・G・ウェルズ。発想の楽しさもさることながら、そこにはその時代を代表するイコンが見事に揃っているではないですか(まぁ、さすがにドラキュラは居ませんが(笑))。パスティーシュの才人であり、SFとミステリをこよなく愛するメイヤーの、これは全世界の同じ趣味嗜好を持つ人々への贈り物だったような気がします。
「霧の街ロンドン」という言葉に、いつも奇妙な郷愁と恐怖を感じてしまいます。実際に行ったことは無いのですけどね。
最初の記憶は子供の頃にTVで見た映画だったと思います。
子供の頃は夏になるとTV各局がこぞってホラー映画や怪談映画を流していたものですが、極度の怖がりだった(いや、今もですが)ものの怖いもの見たさも人一倍だった私は恐怖に震えながらそれらを見ていたものでした。中でも特にお気に入りだったのが英ハマープロの怪奇映画であり、特に吸血鬼ドラキュラのシリーズでした。
クリストファー・リー扮するドラキュラ伯爵は気品と同時に凶暴な性格を併せ持ち、少年時代の恐怖の象徴でした。一方ピーター・カッシング扮するヘルシング教授は知的で冷静沈着な科学者でありながら、対吸血鬼となるとアグレッシブルな活躍を見せるまさしくヒーローでありました。この二人が対決するシリーズ第一作「吸血鬼ドラキュラ」(1957年)をどれほどワクワクしながら見たことか。そしてロンドンのどこか下町で、霧の向こうから現れるドラキュラの姿にどれほど恐怖したことか。子供心にその恐ろしい姿がくっきりと刻まれたのでした。
それからずっと下って学生時代、アガサ・クリスティを中心にミステリ小説に熱中していた私はその頃ようやくコナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズに手を出しました。なせ゜゛それまで読まなかったのに今更ながらに手を出したかと言うと、その頃ついにハヤカワ・ミステリー文庫からの刊行が始まったからでした。当時のSF小説ファンにも多くいましたが、私も同様にハヤカワ信者(複数の出版社から出版されている作品の場合、とにかくハヤカワ文庫で購入する)だったのです(笑)。
遅まきながら読み始めたホームズシリーズは本格推理ものと言うより、探偵小説、冒険小説と呼びたい内容でした。しかし熱中しました。19世紀末の優雅でありながら混沌としたロンドンの雰囲気に憧れ、近代の科学捜査がようやく始まろうとした時代に超人的な観察力推理力で難事件を易々と解決していくホームズの姿に興奮しました。そして、霧にガス燈の灯りもにじむロンドンの夜の風景に、ドラキュラ伯爵とともにパイプを燻らせながら犯人を追うシャーロック・ホームズの姿が付け加えられました。
ドイルの描いたホームズ譚をすべて読み終えた私は、もっと読みたいという欲求に従ってホームズもののパスティーシュ(贋作)にも手を出していきました。ホームズもののパスティーシュはそれこそ数え切れないほどあるし、邦訳されてないものも多いので実際に読んだのはごくごく一部ということになりますが。ドイルの息子アドリアン・コナン・ドイルとジョン・ディクスン・カーが書いた語られざる事件集「シャーロック・ホームズの功績」、W・S・ベアリング=グールドによるホームズ伝記「シャーロック・ホームズ ガス燈に浮かぶその生涯」、ニコラス・メイヤーがフロイド博士ら当時の実在の人物をホームズに絡めてその時代を生き生きと描き出した「シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険」のような本格ものから、H・G・ウェルズやブラム・ストーカーといったドイルと同時代の作家が書いた小説にホームズを絡める珍品、マンリー・W・ウェルマンとウェイド・ウェルマンの「シャーロック・ホームズの宇宙戦争」、ローレン・D・エスルマンの「シャーロック・ホームズ対ドラキュラ」といった珍品まで、そこにはホームズ譚を愛する作家達による様々なホームズの冒険がありました。
そしてそれらの作品を読み進めるうちに気づいたのは、ある殺人者の名前が登場する率がとても高いのではないかということでした。その名は切り裂きジャック。1888年に実在し娼婦ら多くの女性を殺して死体を切り裂いた実在の連続殺人鬼。事件の起こったイースト・エンド地区を中心にその神出鬼没さと猟奇的な手口でロンドンを震撼させ、そして最後まで逮捕されることなく多くの謎を残したこの殺人鬼を、同時代に活躍した名探偵シャーロック・ホームズを絡めたくなるのはファン心理としては当然なことと言えましょう。前出の「シャーロック・ホームズ ガス燈に浮かぶその生涯」やエラリー・クインの「恐怖の研究」、(ホームズではなく!)レストレイド警部が事件を追う「霧の殺人鬼」、やはり前出の「シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険」の続編「ウエスト・エンドの恐怖」(正確にはジャックの事件ではなく、それを思わせるような別の事件)等々、ジャックの正体も作家ごとにそれぞれ趣向をこらして実に面白いのです。
それまで切り裂きジャックのことは名前程度しか知らなかった私は、それから研究書や彼を主人公にした小説を読みふけることとなりました。深い霧の中で獲物を探し、女性を言葉巧みに廃屋に誘い込んで切り裂いた後、スコットランド・ヤードの捜査網を易々とくぐり抜けて再び霧の中に消えていく。頭の中に浮かぶ狡猾にして大胆、残忍な殺人鬼像は恐ろしいものでしたが、同時にミステリファンの心を揺さぶるものでもありました。かくしてドラキュラ伯爵とシャーロック・ホームズと共に、ロンドン霧の中に切り裂きジャックが息を潜めることとなりました。
霧の中に潜む不死身の怪物、残忍な殺人鬼。そして彼らを追いつめる名探偵。私が霧の街ロンドンを思い浮かべる時、彼らは常にそこに居るのです。
さあて、それじゃまずはゾンビ映画とか吸血鬼映画のコトからでも書き散らすかぁ!・・・と思っていたのですが、いきなりのPCの不調でその回復に半日忙殺されてましたorz それでも一応立ち上がるようになったものの状態は良くないようなので突然書き込み不能になるやもしれません。このブログ始めたばかりだと言うのになぁ・・・なんとか騙し騙し続けます。
と言うところで今日は休もうかと思ったのですが12日に書いた「字幕のコト、東宝東和さんのコト」の元ネタ「落合寿和の字幕翻訳日記」さんに件の東宝東和の松崎氏からの反論がありましたので少しだけ。
http://blog.livedoor.jp/heather1/archives/27721751.html#comments
ええと、大きくは例の「字幕でドラマを作っていく」についてのことですね。その内容はほぼ予想していた通りのものでした。
>>言うまでもなくこれは「字幕で有りもしないドラマを捏造する」という意味ではありません。
そんなことは説明されなくてもみんな分かっています。「ドラマを作っていく」という表現に多くの人は「字幕が映画そのものよりも前に出しゃばってくる」というイメージをおぼえたのではないでしょうか。(ただ戸田氏の字幕の場合本来の台詞と意味の違う字幕を付けて「有りもしないドラマを捏造」している例もあるようですが、ここではとりあえず置いておきます)
続いて松崎氏は字幕では文章量の規制が大きいので情報を取捨選択しなくてはならないと続けます。これはもちろん理解できます。しかし観客が求めるのはその規制の中で出来る限りオリジナルに近い内容、ニュアンスを残すことではないかと思うのです。松崎氏は戸田奈津子氏がその能力に長けていると言いたいようですが、私にはその能力に欠けていると思われます。これに関しては見解の相違というものでしょうかね? けれど「ロード・オブ・ザ・リング」の劇場での初見の際、観ていてひたすらに混乱させられたことは忘れられません。その最大の理由こそ、オリジナルの台詞の意味を理解出来ず、取り違えていた字幕であったのでは無いですか。
字幕はけして出しゃばらず映画の画面の中に溶け込んでいてほしい。そして出来る限りオリジナルに忠実な内容で私たちに「映画自体」の面白さを伝えて欲しい。そう思うのは贅沢なんでしょうか。映画よりも前面に出しゃばり(捏造は論外として)字幕によってドラマを盛り上げてやろうなんてのは大きなお世話だと思うのですよ。
まずは自己紹介的に映画の趣味などを。
以前はジャンルにこだわらずどんな映画も観まくってたものですが、今では嗜好もだいぶ固まってきまして・・・
洋画ならホラー、SF、ミステリ、アクション、往年のミュージカル。
邦画なら時代劇。特に東映黄金期の絢爛たる時代劇映画ですね。
好きな俳優はピーター・セラーズ、ピーター・カッシング、スティーブ・マックィーン、市川右太衛門、片岡千恵蔵、大友龍太郎、天知茂・・・。
でもって好きな映画不動の一位は、
「タワーリング・インフェルノ」
以下同率二位で「ジョーズ」と「2001年宇宙の旅」。
とまあ、おわかりかと思いますが「今」の映画より「昔」の映画の方が面白いの多かったなぁ、なんて思ってるオールド映画ファンであります(笑)。
何から始めるか。
とりあえず映画やアニメの鑑賞日記&普通の日記ってなとこですかね。懐かし映画の感想なんかもこっちでやりますか。まぁやってれば追々かたまっていくでしょう。
しかしまだこのブログってやつの使い方がよく分かってないと言うか、手探り状態です。昨日試してみてトラックバックというのの機能もどうやら勘違いしていたようですし。まぁそこらも追々・・・。ところでこのブログはカウンターが付けられないようで、まぁある意味気楽ではあるのだけど張り合いが無いとも言えるなぁ(笑)。とりあえずは気楽な気分で。
最近とみに話題なのが映画の字幕問題。まぁありていに言ってしまえば戸田奈津子氏の誤訳問題なわけですが。
この問題に関しては「ウィキペディア/戸田奈津子」「オペラ座の怪人字幕改善委員会」、「ロード・オブ・ザ・リング字幕問題について」、「KINGDOM OF HEAVEN を正しく伝えたい!」等のサイトを見て頂ければおおよそ理解していただけるかと思います。まぁ要するに字幕の女王と呼ばれる戸田奈津子氏は同時に誤訳の女王とも呼ばれているわけです。
で、最近この字幕問題に関して注目しているのが同じ字幕翻訳家の落合寿和氏の書かれている「落合寿和の字幕翻訳日記」なのですが、同業者の目から見ての映画字幕の現状への苦言、映画や字幕への愛着が綴られていて共感を覚えることが多いのです。
その落合さんのブログに昨日、東宝東和さんの字幕制作担当という方の文章がUPされました。要は戸田奈津子氏の字幕は素晴らしいということを言っておられるわけですが、その内容にはいくつもツッコミたくなるようなものでした。
特にこれ。
>>「字幕でドラマを作っていく」上手さは群を抜いている、と私は思います。
字幕で「ドラマを作る」って何でしょ。映画そのものでドラマは完成しているはずなのに、そこに字幕でのドラマを付け加える必要はないと思うのですが。そもそも字幕は黒子に徹してこそであり、字幕が目立った時点で問題ありなのでは…。
東宝東和という配給会社は'7~80年代に映画を観まくった私のような人間には愛着のある会社でして、そのそのブッとんだ宣伝戦略には何度も楽しませてもらったものです。「バーニング」のバンボロやら「サランドラ」のジョギリやら、音響効果もサーカムサウンドにサウンド360°(世界の燃えつきる日)、その他わけのわからないビジュラマ(ファンタズム)、マテックス808方式(巨大生物の島)、とどめにスパック・ロマンと実にワクワクさせてもらったものでした。
そう言えば「バタリアン」でオバンバやハーゲンタフ等ゾンビの名前を勝手につけたり「サンゲリア」でゾンビをサングと勝手に呼称したりして字幕に反映改変させて楽しませてくれたのも東宝東和でした。ある意味これらも字幕がドラマを作ったと言えるかもしれませんね(笑)。
でも、それは特例的なものであり、今現在では考えられないことでしょう。
この松崎氏が本当に東宝東和の方だとして、実名を出して戸田氏を擁護されるのは勇気ある行為だと思います。しかし同時に氏の意見が東宝東和の総意と見なされる危険も考慮すべきでしょう。そして氏の意見が映画界全体の意見だとしたら、正直暗たんたる気持ちになります。
とまあ、しょっぱなから重い話題だったわけですが、次からは気楽にやっていこうかと思います。
突発的にブログです。
ウソです。実は以前からやってみたいなぁと思ってはいたのですが、
気力のない自分に続けられるのか不安だったもので躊躇していました(笑)。
しかしそのブログをいよいよ始めようと思ったきっかけが最近話題の映画字幕問題だったわけで、
なんだかいろいろと寂しいことではあります。
ともあれ、始めたことですから毎日とはいかないまでもちょこちょことは何か書いていきたいと思います。
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